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2014年京都御所、東寺、平等院、平安神宮へ日帰り旅行
One-day trip to Kyoto Imperial Palace, Toji Temple,
Byodoin & Heian Jingu shrine in 2014
(Photos taken on Nov. 3, 2014)

 

2014年11月3日京都へ日帰りバスツアーへ。

クラブツーリズム主催ツアー名:
「7日間限定企画この時期だけの特別な京都をめぐる
京都御所秋季一般公開と東寺・五重塔初層特別公開」

世界遺産の国宝平等院鳳凰堂の修理(中堂、両翼廊、尾廊、屋根葺き替え、塗装)
が完了したら見学しようと思っていたらちょうと良いツアーがあったので参加。
当日は京都御所で一時雨にあったがそれ以外は晴天に恵まれた。

京都御所と東寺が建造物、歴史の深さ、景色の点で他を上回っている、と感じた。
鳳凰堂内部拝観は2時間30待ちのため諦めた。

<見学地>
1国宝平等院(世界遺産)
2京都御所
3東寺(真言宗本山)(国宝五重塔・国宝金堂・重文講堂・国宝大師堂からなる)
4平安神宮

<往路>AM7:00瀬戸信用金庫本店前出発→AM7:30尾張旭→
国道302号→名二環→伊勢湾岸道(8:10長島SAで臨時トイレ休憩)→
東名阪→新名神(9:00土山SAでトイレ休憩)→平等院(10:00-11:20)→京滋バイパス→
京都御所(12:25-13:50)→東寺(14:15-15:30)→平安神宮(16:10-17:00)
<復路>平安神宮→新名神(京都東IC)→東名阪→名二環→国道302号→
尾張旭→瀬戸信用金庫本店前(20:40)

往路は予定通り進行、復路は新名神と東名阪で自然渋滞に巻き込まれ遅れたが、
バスがスピードを上げ、到着は予定より20分程度の遅れで済んだ。

満足のツアーであった。

<備考: 以下の写真の説明>
参照:パンフレット、インターネット等
1 御学問所上段の間の絵画
「十八学士登瀛州図(じゅうはちがくしとうえいしゅうず」
狩野永岳(かのうえいがく)
この図は中国唐の皇帝太宗(たいそう)が帝位につく前、文学館を開き18名の文士を
集め彼らと文籍を論じたという故事を描いたもので、以降文学館に入ることは
「瀛州(えいしゅう)(神仙が住むと言われる山)に登る」と言われるようになりました。
上段の間全体で、十八学士が書を読み、絵を揮毫し、琴を楽しむ様子、向かって右に
文学館の館が描かれています。 この十八学士の中には、紫宸殿賢聖障子
(けんじょうしょうじ)の中に描かれている杜如晦(とじょかい)、房玄齢(ぼうげんれい)など
が含まれています。
2 御常御殿(おつねごてん)
室町時代以降、天皇の日常の生活の場として使われた御殿で、明治天皇は、東京に
お移りになるまでここをお使いになっていた。京都御所内では最も広い建物で、内部は
15室からなっている。
3 御常御殿に展示してある絵画
「四季花鳥図」  画家: 岸岱(しきかちょうず がんたい)
皇后宮常御殿(こうごうぐうつねごでん)御寝(ぎょしん)の間にある襖絵18面で、東に春、
南に夏、西に秋、北に冬の様子が描かれています。展示している襖絵は北側に
あるもので、南天の実をくわえるヒヨドリや水辺の鴛鴦(おしどり)などが描かれています。
4 御常御殿に展示してある絵画
「西王母(せいおうぼ)」 画家: 近藤梁渓(りょうけい)
御三間の東御縁座敷にある杉戸絵。 西王母は、中国の地理書「山海経(せんがいきょう)」
で中国西方の崑崙山(伝説上の山)に住む仙女であるとされています。画面右側の侍女が
持っている桃の実は、三千年に一度実をつける「仙桃」と言われるもので、この実を食べると
長寿を得られるとされ、後漢の皇帝武帝は西王母からこの桃を授かったとされています。
5 食堂(じきどう)
僧侶が斎時に集まって食事をした場所。896年、理源大師・聖宝が6mの千手観音立像
(現宝物館安置)と四天王像を造立。千手堂とも呼ばれ、足利尊氏もここに居住した。
6 五重塔
826年弘法大師空海の創建着手に始まるが、雷火などにより4回焼失した。現在の塔は
1644年徳川家光の寄進により竣工し総高55mの現存する日本の古塔中最高の塔。

     

                       平等院
ときの権力者、関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別荘を子供の
藤原頼通が、永承7年(1052)にこれを仏寺に改め、平等院とした。
永承7年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、
極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。
その翌年の天喜元年(1053)には平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には、
平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、
華やかさを極めたとされています。約1000年前に建立された建造物や仏像が今に
伝えられ、世界遺産にも登録されております
<上記説明の参照>
http://www.byodoin.or.jp/byoudouin.html京都・宇治 世界遺産 平等院
平等院南門 養林庵書院
浄土院 不動堂
最勝院 鳳凰堂(北から南を見る)
天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼通
によって平等院に建立された阿弥陀堂
鳳凰堂((正面)東から西を見る) 鳳凰堂(北東から南西を見る)
鳳凰堂内の中央に端坐する金色の
丈六阿弥陀如来坐像
鳳凰堂(南東から北西を見る)
鐘楼 平等院表門
喜撰橋 喜撰橋(喜撰茶屋で抹茶と醤油の蒸し饅頭
を購入、バスの中で食べた)
喜撰橋(鵜飼船のりば)
ツアーに含まれる昼食弁当(バスの中で食べた)
794年桓武天皇が遷都された平安京の大内裏の中ほどに天皇の住まいである内裏皇居
があった。 内裏が火災に天皇は貴族の私邸など京中の殿邸を仮皇居とされた。
これは里内裏と呼ばれるが、平安時代の後期以降、元の内裏は次第に使用されなくなり、
里内裏が日常の皇居とされるようになった。 現在の京都御所は、土御門東洞院殿
といわれた
里内裏が発展したものである。
宜秋門(ぎしゅうもん) 御車寄
諸大夫の間(しょだいぶのま) 清涼殿
新御車寄
新御車寄 承明門
建礼門(右:建礼門 左:承明門) 建礼門
紫宸殿(ししんでん) 日華門(左)と春興殿(右奥)
建春門 春興殿
日華門 清涼殿
            紫宸殿           (左:「右近の橘」右:「左近(さこん)の桜」)
小御所(こごしょ)
(諸種の儀式が行われ、武家との対面にも用いられた。
寝殿造りと書院造りの両要素が混合した様式の建物)
板興 小御所に飾ってある人形
御学問所(おがくもんじょ)
(御読書始めの会など学芸関係のほか、
臣下と対面される行事などにも用いられた。
入母屋桧皮葺きの書院造りの建物)
御学問所上段の間の絵画
(備考1参照)
御池庭(おいけにわ)(池を中心とした
回遊式庭園;小御所と御学問所の東にある)
御常御殿(おつねごてん)
(備考2参照)
御涼見所(おすずみしょ)
(天皇の夏季の納涼所として使用された)
御三間(おみま)(七夕や盂蘭盆会など
の内向きの行事に使われた)
御三間 御常御殿に展示してある絵画
御常御殿に展示してある絵画
「四季花鳥図」(備考3参照)
御常御殿に展示してある絵画
「西王母(せいおうぼ)(備考4参照)
清所門(せいしょもん)
                          東寺
(境内の南から北へ、金堂(本堂;本尊の「」である薬師如来坐像と日光、月光の
両脇侍菩薩像が祀られている)、講堂(立体曼荼羅で密教の教え「」を表現している)
食堂(じきどう)(「」を表す)とまっすぐに大伽藍が並ぶ。この配置は仏法僧を表している。
食堂(じきどう)(備考5参照) 五重塔(備考6参照)
金堂 講堂
                   毘沙門堂 
939年平将門の乱の際、都の守護神として羅城門に安置されていた兜跋毘沙門天
(とばつびしゃもんてん)立像(現宝物館・国宝)を978年7月9日大風にて羅城門が
倒壊の後、東寺に移し食堂に安置したりしたが、1822年現在の堂を建立してお祀りした。
大日堂
(東寺のなかでも新しい部類に入る建築物で大日如来が安置されている;
桓武天皇、嵯峨天皇をはじめ足利尊氏などの位牌を納める尊牌堂となっている)
              国宝大師堂 西院御影堂(ごえどう)
弘法大師の住房で、大師の念持仏、国宝・不動明王像(秘仏)一躯が安置され
不動堂ともよばれていた。堂内には不動明王と弘法大師像が祀られ、
弘法大師信仰の中心となっている御堂。
平安神宮