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浜離宮恩賜庭園、増上寺、他
Hama-rikyu Garden, Zoujyouji temple, etc
(Photos taken on Mar.13 & 14, 2015)

 


JR東海50周年記念で新幹線往復切符とホテル代セットが安かったので
1ヶ月以上前に予約し、2015年3月13日、14日久しぶりに東京見学へ。
ICカードMANAKAを都内の地下鉄とJR全てで利用できたので切符を購入せずに
スムースに移動できた。愛知県は名鉄が独占し交通機関の競争がほとんどないので
関西や東京に比べかなり電車賃が高い(実感は倍位)。

初日は、浅草寺を見学後、銀座線で表参道まで行き、そこから散策しながら明治神宮へ。
表参道は街並みの質感が高く、ざわついていないので歩いていて気持ち良い。

2日目、新橋から徒歩で浜離宮恩賜庭園(徳川将軍家の庭園)へ。ゆっくり散策後、
そこからまた徒歩で増上寺へ。 途中、海岸通の「あえん」で休憩を兼ねランチバイキング
(1000円:非常に値打ちでお奨め)をとった。増上寺から浜松町まで歩いていこうと思ったが、
ちょっと疲れたので手前の都営地下鉄芝公園駅から大手町駅へ。そこから徒歩で右に
皇居を見ながら東京駅へ。東京駅の駅舎を様々な角度から撮った。日本郵便が初めて
作ったKITTE JPタワーから東京駅丸の内南口方面を見下ろす駅舎の景色も良かった。
東京駅八重洲側新幹線改札口近くのドトールコーヒーでスイーツとコーヒーをいただき、
帰途へ。

今回は曹洞宗大本山の総持寺へも行こうと思ったが、のんびり旅行を優先させ、総持寺見学
は後日の楽しみにとっておくことにした。ツアーと違いマイペースで移動できるので非常に
楽であった。東京は交通の便が良いので個人旅行に向いている。

<往路>自宅→東京
自宅→瀬戸市役所前9:00→名鉄瀬戸線大曽根9:22/JR大曽根→JR名古屋9:45/
新幹線名古屋(のぞみ)10:00→東京11:40
<復路>東京→自宅
新幹線東京16:20→名古屋18:00/JR名古屋→JR大曽根/名鉄瀬戸線大曽根
→瀬戸市役所前→自宅
<訪問地への経路>
@浅草寺、明治神宮
JR東京→JR神田(駅西商店街で昼食:天丼とそばのセット)
メトロ銀座線 神田→浅草10分 (浅草寺見学)
メトロ銀座線 浅草→表参道29分・・・徒歩10分(明治神宮見学)
JR原宿→池袋13分 (サンシャインシティプリンスホテル泊;夕食はステーキ)

A浜離宮恩賜庭園、増上寺(浄土宗大本山)
JR池袋→新橋28分・・・徒歩10分(浜離宮恩賜庭園見学)
・・・徒歩10分 (浜松町の「あえん」で昼食:ランチバイキング)
・・・徒歩5分(増上寺見学) 
地下鉄都営三田線 芝公園→大手町
・・・徒歩10分 東京駅(皇居を右に見ながら東京駅へ)


新幹線から望む富士山  
 
浅草寺境内
<後ろにツインタワー>
明治神宮
<最初の鳥居は補修中>
サンシャインシティ <宿泊は隣接する
サンシャインシティプリンスホテル20F>
新橋から浜離宮恩賜庭園への途中
浜離宮恩賜庭園の300年の松 浜離宮恩賜庭園の菜の花
浜離宮恩賜庭園の梅林 東京湾と御亭山(おちんやま)
(浜離宮恩賜庭園)
潮入の池(浜離宮恩賜庭園) 中島の御茶屋(浜離宮恩賜庭園)
[注1参照]
中島の御茶屋の西側
(抹茶と和菓子セットを有料で頂ける)
潮入の池と松の御茶屋(浜離宮恩賜庭園)
「あえん」浜松町店が入っている港区海岸通
の汐留ビルディングの前から西を望む
<世界貿易センタービルと東京タワーが見える>
増上寺の大門
(浄土宗大本山;徳川将軍家の菩提寺)
増上寺の三門 [注2参照] 増上寺の大殿
増上寺の鐘楼堂 [注3参照] 芝東照宮
(御祭神 徳川家康;芝公園内にある)
東京駅丸の内側北口と中央口 KITTE JPタワーから見下ろした東京駅
丸の内側南口から北口へかけての景色
東京駅丸の内側南口の端


[注]
1中島の御茶屋
説明板の説明:
木造平屋建入母屋造り一部寄棟銅板板葺161.5m2 露台78.3m2
江戸時代、大名庭園等に設けられた園遊接待のための施設。
宝永4年(1707)、6代将軍徳川家宣が建設。明治維新後、皇室の離宮となり、
しばしば国賓等も迎えたが、昭和19年(1944)第2次大戦の空襲により焼失。
その後昭和58年(1983)財団法人日本宝くじ協会の助成事業として再建。

2増上寺の三門
正式名称は三解脱門。徳川幕府の助成により、幕府大工頭・中井正清
とその配下により建立。元和8年(1622年)に再建。江戸の初期に
大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に
指定されている。

3 増上寺の鐘楼堂
鐘楼堂に収められている大梵鐘は、延宝元年(1673年)にあまりの
大きさに七回の鋳造を経て完成し(東日本で最大級といわれている)、
江戸三大名鐘の一つに数えられている。江戸時代の川柳には
「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」・
「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」・「西国の果てまで響く芝の鐘」
等と歌われ、江戸っ子鐘と親しまれている。