瀬戸市西追分町のお天王さまの祠
Oten-Nou Sama Shrine at Nishi-Oiwake-cho, Seto City, Aichi Pref.
その他の瀬戸の風景No.265の備考2

 

西追分町町内の守護と安全を見守っている祠がこのお天王さま。毎年、津島神社
(御祭神 主神:建速須佐之男命)のお札を祀り、7月と12月には町内会で
お天王さまの清掃をし、御榊、塩、酒、海のもの、山のものをお供えし祭礼を行っている。
いつお天王さまが築かれたか不明だが、正面右の石像には「秋葉大権現」、
左の石像には「山丈大権現」と彫ってあり、この「秋葉大権現」の石像には
「島中安全」「明治22年11月奉建」と刻まれているので、明治22年には設置されていると
推定される。
「山丈大権現」の「丈」は推測です。彫ってある漢字が読めません。「夫」、「丈」、「伏」
のようにも読めます。
1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行に伴い、上水野村・中水野村・下水野村が合併し、
水野村が誕生時、西追分町は水野村に属しており、横山街道を挟んで南は今村の追分町、
東は瀬戸村の十三塚に近接している。
明治22年市制町村制施行により瀬戸村となった瀬戸村の土地台帳などには、十三塚が
含まれている。
「島中安全」は明治22年水野村誕生を記念し、西追分町の安全を願ったのではないか? 
「島中」とは水野村、瀬戸村、今村が合流する場所として「島中」と命名したのかも知れません。
区画整理で昭和30年代、弘法堂がお天王さまの場所の追分交差点から西南の今池町へ
「おもかる地蔵」とともに移転されたが、今池弘法堂として現在も存在している。

(参考)
水野村は1951年(昭和26年)5月3日に瀬戸市に編入された。
愛知県東春日井郡水野村大字上水野403番地が昭和32年7月1日土地の名称及び
地番号変更につき同日、瀬戸市西追分町58番地に変更。