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信州飯田街道のうち大曾根から追分までは瀬戸街道と呼ばれ、その内、根ノ鼻公園から
平町公園の南の市道を東へ進んだ追分町まで約2.5kmの東西の区間が横山街道と呼ばれ、
菓子屋、宿屋、馬宿、食べ物屋などが軒をならべたという。天保12年(1841)の村絵図には、
瀬戸川の北側に東西に延びる脇往還が描かれており、そのうち横山部分が横山街道である。
2024年9月6日横山道の西半分を歩き、発見した石碑などを写真等で紹介します。

瀬戸市の今村地区の根ノ鼻公園から平町公園辺りは川西島と言われ、
昭和31年(1956)に全地域22万5千坪の区画整理が実施され10か年の歳月を経て完成。


根の鼻町の道端の石像 名鉄瀬戸線根の鼻駅の跡
田端公園 金峰大神社と彫られている石碑、
中馬街道の標識(平町公園のすぐ東)
区画整理着工記念 「協力之碑」
(效範公民館西部コミュニティーセンター敷地内)
                 石碑「協力之碑」の裏面(次のように刻印されている)
明治末期の今村 川西島は戸数30有余であったが、50年後の昭和31年には400戸に達した。
その雑然たる地域構成は住民の福祉と発展の障害と考え 全地域22万5千坪の区画整理を
実施し10か年の歳月と2億4千6百万円の工費を投じ、勘右エ門川改修 墓地移転
家屋156戸の移築、公園7か所 都市計画街路四線を幹線とする道路八十線等の完成を見た
ここにこの事業の完成に当り関係各位の賛助協力に感謝し永く後世に伝えるため碑を建てる
                                           昭和41年3月
                                             施工者
                                              瀬戸市長 加藤繁太郎
明治時代製作の治水碑
その石碑の表面 判読不可だが、下記の文字が見える
明治24年・・・
明示27年8月
愛知県知事正4位勲三等時任・・・
愛知県参事会員堀尾茂・・・
その石碑の裏面: 下記の文字が見える
村長 青山 助役 秋田  収入役 松原 書記 矢野