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Central Europe Tour in Jan. 2014 P4
2014年1月中欧4カ国巡りツアー P4
(Photos taken on Dec.30, 2013 through Jan. 6, 2014)
P4

 

3日目 1月1日(水)
宿泊 Clarion Congress Hotel Prague プラハ
午前: スロバキアの首都、ブラチスラバ市内観光
その後プラハへ(約5時間/334km)

1993年スロバキアはチェコスロヴァキアから分離し共和国になった。ブラチスラバは
スロバキアの首都。ウイーンやブダペストと同じくドナウ川のほとりに位置する。
オーストリア、ハンガリーとの国境に近く、スラブ人、ドイツ人、ハンガリー人が行き交う。
ブラチスラバの名は10世紀初めのボヘミア王ブラチスラフに由来(ボヘミア→備考参照)。
以後約1000年ハンガリーに支配された。11世紀後半ドナウ川を利用した交易の拠点として
賑わい始め、13世紀にはドイツ人の入植が行われ、商工業が大きく発展。15世紀後半、
ハンガリーの最も重要な都市となった。スロバキアの独立運動が実を結び1918年から
チェコスロヴァキア共和国の都市としてスロバキア人のもとで発展をし、社会主義の時代や、
チェコとの分離を経て現在に至る。

<備考>ボヘミアは、現在のチェコの西部・中部地方を指す歴史的地名。
古くはより広くポーランドの南部からチェコの北部にかけての地方を指した。

 

076トイレ休憩のコンビニ 076-2コンビニ付近で待つバス
(風力発電用風車が見える)
077・078ブラチスラバ城
079-1・079-2ブラチスラバ城の門
                 080・081ブラチスラバ城からドナウ川を望む
        (霧に霞んで船が見える)              (霧に霞んで展望タワーが見える) 
082ブラチスラバ城の下で待つバス
083・084ブラチスラバ城の下の周囲の街並
085市街地の建物 086市街地を走る路面電車
087三位一体教会(バロック建築;
1725年完成;教会に尖塔が見られないのは、
ナポレオン軍の砲撃により破壊されたため)
088街路に埋め込まれた碑
(ブラチスラバで焼き殺された最初の魔女の記念碑、
と書かれている;
(三位一体教会からミハエル門へ行く途中)
089・090ミハエル門へ行く途中
091・092ミハエル門へ行く途中
093ミハエル門(ルネツサンス様式;屋根はバロック様式) 094薬などの博物館?
095建物の壁の飾り 096旧市街地で最も狭い通り
097・098旧市街地の通り
099モーツアルトが幼少期に住んでいた家
(現在はオーストリア大使館)
100旧市街地
101聖マルテン教会(ブラチスラバがハンガリーの
首都であった時代を中心とした約300年間は
ハンガリー王の戴冠教会;13世紀創建当時は
ロマネスク様式の建築だったが、15世紀に
ゴシック様式で再建、現在に至る)
102・103アンデルセンの彫刻
104三位一体の像 105旧市街地のマンホールにある像
106旧市庁舎(プリマシアルネ広場;
正面奥が旧市庁舎;左が大司教宮殿)
107大司教宮殿
(ブラチスラバ市庁舎の一部)
108一番左のうぐいす色の建物に
日本大使館が入っている(1階は土産売店)
右端の建物にギリシア大使館が入っている。
108-2日本大使館が入っている
建物の並びと直角に並んでいる建物
109フランス大使館(左橋)が入っている建物 110旧市庁舎と中央広場
111スロバキア国立劇場
(バロック宮殿風;良質なバレエやオペラが上演))
112左からEU・スロバキア・ブラチスラヴァの旗
114中央広場のモニュメント 115レンガ積み工事の跡が2001年発掘された
116公園のスケートリンク 117アメリカ大使館(公園に沿った通り沿い)
118・119ヨーロッパの国の大使館(公園に沿った通り沿い)
120・121昼食