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Central Europe Tour in Jan. 2014 P5
2014年1月中欧4カ国巡りツアー P5
(Photos taken on Dec.30, 2013 through Jan. 6, 2014)
P5


4日目 1月2日(木)
宿泊 Clarion Congress Hotel Prague プラハ
午前:プラハ市内観光
P5→プラハ城、
P6→聖ビート教会(ステンドグラスが素晴らしい)、聖イジー教会、
旧王宮、黄金の小路、カレル橋、
P7→旧市街広場、ボヘミアグラス絵付け見学
P8→午後:ボヘミア古城チェスキー・シュテルンベルク城観光

プラハの歴史(ウイキペディアなど参照)
6世紀後半にスラヴ民族によりヴァルタ川河畔に集落が形成。9世紀後半プラハ城建設。
973年にキリスト教の司教座が置かれると、ユダヤ人が入植。1346年神聖ローマ帝国の
首都はプラハ
に移され、都市開発が行われ、ローマやコンスタンティノープルと並ぶ、
ヨーロッパ最大の都市へ急速に発展。ヤン・フスによるローマ教皇庁への抗議で1415年
にフスが火刑にされると、フス派によってフス戦争が勃発、ローマ教皇の十字軍を破るが、
15世紀後半にハプスブルク家のアルブレヒト2世がボヘミア王になると、フス派は
その支配下に入った。16世紀後半、ルドルフ2世の治世になると、プラハに芸術家、
錬金術師、占星術師などが集められ、プラハはヨーロッパの文化の中心都市として
栄華を極めた。しかし、1618年にプラハ城で起きたプラハ窓外投擲事件により戦いが
勃発し、三十年戦争に発展。1648年、カトリックの最後の牙城だったプラハ
スウェーデン軍に包囲されるが、ヴェストファーレン条約が締結され、戦争は終結した。
しかし、王宮はウィーンへ移転され、プラハは人口が激減する。また、チェコ語の使用禁止
や宗教弾圧や文化弾圧などを受け、チェコは独自の文化を失い、2世紀以上にわたって
「暗黒の時代」といわれるチェコ民族文化の空白時代を迎えることとなる。
第一次世界大戦終結後の1918年にオーストリア=ハンガリー帝国が解体し、
チェコスロヴァキア共和国が成立すると、プラハ城に大統領府が置かれ、首都となった。
しかし、1938年、ナチス・ドイツによって占領され、チェコスロヴァキアは解体された。
第二次世界大戦中はここに居住していたユダヤ人約5万人がナチスによって殺害された。
しかし、プラハは他の東欧中欧の都市のような大規模な戦火に曝されることはなかった。
ただし被害はやはり被っており、1945年2月14日にはアメリカ軍爆撃機60機による銃弾爆撃が
行われた。ソビエト赤軍侵攻時には、旧市庁舎の建物の一部が、1945年5月7日から8日に
かけてのドイツ軍装甲車両や高射砲の砲撃の被害を受けた。
第二次大戦後は、社会主義国チェコスロヴァキアの首都となった。1968年にはプラハの春
と呼ばれる改革運動が起こるが、ワルシャワ条約機構軍の侵攻を受け、改革派は弾圧された。
しかし、1989年のビロード革命により共産党政権は崩壊1993年にチェコとスロヴァキアが
分離するとチェコの首都となった。
2002年にドイツ東部からチェコを襲った水害では、ヴァルタ川が氾濫し、広範に床上浸水し、
市の地下鉄が数ヶ月に渡って停止するなどの大きな被害を受けた。
プラハは、千年の歴史を持つ都市であり、第一次・第二次世界大戦の被害にも、また、
その後の資本主義の高度経済成長にも巻き込まれなかったことで、ロマネスク建築から
近代建築まで各時代の建築様式が並ぶ。

現在プラハは、人口約120万人でチェコ共和国の首都。カレル大学は中欧最古の大学。
プラハの歴史地区は1992年ユネスコの世界遺産に登録された。プラハ城や旧市街などが
含まれ、街そのものが世界遺産といえる観光都市。

<撮影したプラハ歴史地区>
プラハ城(城内の聖ヴィート大聖堂・聖イジー教会)
カレル橋
聖ヴィート大聖堂
旧市庁舎 天文時計
旧市街広場
ティーン教会その他


122・123Clarion Congress Hotel Prague プラハ ホテルのレストラン
124夕食 125朝食
126-1プラハ城(ヴァルタ川西岸にあるプラハのシンボル;
城の歴史は9世紀に始まり、ボヘミア王国やチェコ共和国の歴史の中で
重要な役割を果たしてきて、ボヘミア王国や中央ヨーロッパの歴史を物語っている)
126-2プラハ城への入口のマチアス門
127・128衛兵の交代式
129衛兵の交代式
130プラハ城内 131プラハ城内の鳥かご
(井戸:右奥に聖十字架教会が見える)
132・133プラハ城内
134プラハ城内
135-1・135-2プラハ城内
136・137プラハ城からの景色
    138-1聖ヴィート大聖堂の正面(写真撮影は有料)
(ゴシック様式;プラハ城内: プラハ城のセンターに位置して、
チェコのもっとも重要な教会;ボヘミア国王の戴冠聖堂)
138-2聖ヴィート大聖堂
(この前はプラハ城の第3の中庭)
139聖ヴィート大聖堂の礼拝堂
(入口付近から奥を見る)
140ステンドグラス(礼拝堂;ミュシャが描いた) 141ステンドグラス
142・143ステンドグラス
144・145ステンドグラス
(左は直径20mで世界最大のステンドグラス)
146パイプオルガン
(2階のオルガンが実用;
3階のオルガンは飾り)
147ステンドグラス
148礼拝堂の後ろ側(入口付近) 149木彫りの飾り(カレル橋が中央に見える)
150ステンドグラス
(七つ星の左に聖母マリア等が見える)
151ステンドグラス
(前に七つ星の左に3人の戦士のような人が見える)
152・153ステンドグラス
154ステンドグラス 155銀の墓(2トンの銀を使用)
156壁画(左:天国、右:地獄) 157チェコの高校生が焼いたベツレヘムのパンの家
158ステンドグラス(前にキリスト生誕のモニュメント)