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2016年秋の彦根市、長浜市、米原市、岐阜県関ヶ原町
Hikone,Nagahama,Maibara and Sekigahara in Autumn, 2016
(Photos taken on Oct.10, 2016)

 

2016年10月10日うろこ雲が空を覆いすがすがしい秋空の下、クラブツーリズムの日帰り旅行
「松茸や近江豚鉄板焼きの昼食に巨峰デザート近江・秋の味覚大満喫」に参加。

当初の予定と順序が異なり、昼食時間もやや遅れたが、スムーズに旅がすすんだ。
帰路は名神高速道米原ICから入りしばらく順調なため、名古屋へノンストップで直行する予定だったが、
事故渋滞があり、途中「養老SA」でトイレ休憩し、予定より50分程遅れて、名古屋駅に午後7時到着。

<旅程>
名古屋駅西口・エスカ地下街(8:50出発)→彦根市(城下町を自由散策10:25-11:50約85分)
→黒壁スクエア(長浜市;自由散策12:20-13:20約60分)→関ヶ原(岐阜県関ヶ原町;
食事処「花伊吹」松茸鉄板焼きの昼食14:00-15:20約80分)→胡麻の里(岐阜県関ヶ原町;
買い物15:25-15:45約20分)→ローザンベリー多和田(滋賀県米原市:季節の花観賞
16:15-16:50約30分)→名神高速道「養老SA」(約15分)→名古屋駅(19:00)

<注1>欅御殿:
今は建物部分(奥書院、茶座敷、楽々の間などの部屋)を楽々園、
庭園部分を玄宮園と呼んでいるが、もともとは全体が彦根城藩主の下屋敷で、
欅御殿と呼ばれていた。
彦根城第4代藩主が1679年に下屋敷として建造。1815年井伊直弼はここで
生まれた。1804年〜1817年に楽々之間を増築してからは欅御殿という正式の名より
むしろ楽々園の名で呼ばれるようになった。
楽々園の名は「仁者は山を楽しみ、智者は水を楽しむ」の意からとったといわれ、
民の楽を楽しむという仁政の意を持つといわれている。
<注2>大通寺の山門
長浜城内に設けられた大通寺は1649年彦根藩第2代藩主井伊直孝の土地寄進により
現在地に移転。その後、1657年本堂が建立される。山門の上層内部は板敷で
中央に須弥壇を設け、釈迦如来と弥勒菩薩、阿難尊者が安置されている。
この山門は京都の東本願寺の山門を模して造られた。その後東本願寺の山門が
焼失した際の再建には、この山門が参考にされた。

 

玄宮園の園内で茶席「鳳翔台」越しに彦根城を見る
楽々園(欅御殿)の玄関
<注1>欅御殿
修理中の楽々園
御書院が中央に見える
茶座敷(地震の間)、楽々の間が白色のシートで覆われている
御書院(奥書院)
外堀から見る彦根城
大通寺の山門(長浜市指定有形文化財)
<注2>大通寺の山門
大通寺の本堂
黒壁ガラス館の裏にあるトイレ(右奥)とカフェ(左)
関ヶ原町の食事処「花伊吹」での昼食のデザート
(パンケーキの上に焼いたアイスクリームが置いてある
パイナップルの上に置かれたアイスクリームが鉄板で焼かれている
ローザンベリー多和田内の入り口
<うろこ雲が空一面に広がっている>
ローザンベリー多和田内の山野草と宿根草の庭
(コンパクトに美しくまとまって素晴らしい)
ローザンベリー多和田内の山野草
("ワイルドチャービル レイヴァンス ウイング"と説明板に書いてある)
ローザンベリー多和田内のロックガーデン
ローザンベリー多和田内の池の周囲から入園口方面を見る