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2018年5月9日クラブツーリズムの日帰りバスツアー「期間限定!圧巻の雪の大谷ウォーク!
アルペンルートのハイライト「立山・室堂平」」に参加。

名古屋駅を出発した時は曇り。名古屋から東海北陸自動車道(56箇所のトンネルをくぐった)と
立山有料道路を通り立山・室堂へ。室堂での雪の大谷ウォークが視界不良などの悪天候で
中止になり、100分の散策予定が1時間に変更となり、その代わり、雄山神社前立社壇へ。

室堂ターミナル屋上と立山自然保護センターを結ぶ歩行者専用通路である「雪の回廊」
は悪天候でも通行できるので、ここを散策。雪の壁の高さは8mで、雪の大谷の20mに
比べれば迫力はないが、十分楽しめました。

雄山神社前立社壇で降車時、大雨となり、参道を歩き、境内を散策したが、早々、バスへ戻った。

往路、東海北陸自動車道だったか北陸自動車道だったか、観光バスの前を走るトラックの荷台
から材木が落下し、危うく大事故になるところだった。幸い、2車線で運転手さんが急ハンドルで
上手に落下材木を避けたので助かった。この時、何が起きたか知らず、座席がガクンと揺れたので、
他のツアー客に聞いたら、上記の状況だった。 添乗員さんが材木を落下させたトラックについて
警察に連絡されたかな、と思ったら、どうも連絡されてなかった。ドライブレコーダーが観光バスに
搭載されているなら写っているはずなので、三重交通にはしかるべき行動をしてほしい。

【旅程】
名古屋駅(7:30出発)→瓢ケ岳PA(8:35-8:55)→松ノ木峠PA(9:40-9:50;昼食弁当積み込み)→
立山のアルペン村(買い物11:40-12:00)→<立山有料道路>→室堂(自由 散策14:30-15:30/60分)
→<立山有料道路>→アルペン村(15:55-16:20)→雄山神社前立社壇(16:40-17:05)→
城端SA(17:50-18:10)→ぎふ大和PA(19:35-20:05)→川島PA(20:20-21:40;バスから異音発生で
バス点検。三重交通の代車のバスで名古屋へ)→名古屋駅(22:10着;予定より30分遅く到着)

★雄山神社と雄山神社前立社壇について:

<出所:雄山神社前立社壇のウェブページ (富山県中新川郡立山町岩峅寺(いわくらじ)1番地)>
当社(前立社壇)は山裾に位置し、3社の中で一番平野に近く、立山の前に立つお社であること
から前立社壇と呼ばれております。社伝によれば、立山は文武天皇の大宝たいほう元年(701年)
に景行天皇の後裔越中国司佐伯宿祢有若公(さえきのすくねありわか)の嫡男有頼少年が
白鷹(しらたか)に導かれ熊を追って岩窟に至り、「我、濁世じょくせの衆生を救はんがため此の山
に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かんがためなり。」と
いう雄山大神(おやまおおかみ)の神勅を奉じて開山造営した霊山であります。
古来、富士山・白山と共に日本三霊山として全国各地から信仰されてきました。

<出所:雄山神社-Wikipedia>
雄山神社(おやまじんじゃ)は、富山県中新川郡立山町にある神社。旧称は立山権現・雄山権現。
式内社、越中国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
●概要
霊峰立山を神体とし、立山の神として伊邪那岐神(立山権現雄山神・本地阿弥陀如来)・天手力雄神
(太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)の二神を祀る。神仏習合の時代には仏教色の強い神社であり、
立山修験の源であった。また、元明天皇や後醍醐天皇の勅願所でもあった。
峰本社(みねほんしゃ)、中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)、前立社壇(まえだてしゃだん)の三社
をもって雄山神社とする。所在は富山県中新川郡立山町芦峅寺(あしくらじ)から岩峅寺(いわくらじ)
にかけた一帯、広くは地獄谷や弥陀ケ原を含む立山連峰全域である。
岩峅寺及び芦峅寺の「峅」と言う文字には「神様の降り立つ場所」の意味がある。
峰本社、祈願殿、前立社壇の三社は三位一体の性格を持っているため、どの社殿に参拝しても
ご利益は同じとされている。これは山頂の峰本社には旧暦の7月〜9月までしか参拝できない点及び、
祈願殿は主峰雄山を正面に頂き開祖が晩年を過ごした点、前立社壇から立山開山の話が始まるなど、
三社が各々独自に立山信仰に深く位置付けられている点、加えて古くは岩峅寺の前立社壇より山頂
の峰本社まで宮司が歩いて通ったと伝えられることや今でも前立社壇の宮司が峰本社の宮司である
事にも由来される。
●祭神
現在の祭神は以下の2柱。
伊邪那岐神 (いざなぎのかみ)
天手力雄神 (あめのたぢからおのかみ)
●歴史
創建の年代は不詳である。社伝では、大宝元年(701年)に景行天皇の後裔であると伝承される
越中国の国司佐伯宿祢有若の子、佐伯有頼(後の慈興上人)が白鷹に導かれて岩窟に至り、
「我、濁世の衆生を救はんがためこの山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに
導きしは、この霊山を開かせんがためなり」という雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山
であると言われている。また、大宝3年(703年)に釈教興が勧請したとも伝える。

 

駐車場から常願寺川沿いに石の鳥居へ向かう。
雄山神社前立社壇本殿は国の重要文化財
雄山神社前立社壇の表神門
雄山神社前立社壇の拝殿(左奥)と摂社・末社(左手前)
拝殿
雄山神社前立社壇の東神門
(左の支柱に「この先岩峅寺」の木札が貼ってある)