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2019年4月12日、クラブツーリズムのツアー 「約1500本!天下第一の桜と称される 高遠小彼岸桜たっぷり約3時間」に参加。 出発地の名古屋は比較的穏やかな天気だったが、バスに乗ってしばらく行くと空は 厚い雲に覆われ、目的地の長野県伊那市高遠町の高遠城址さくら祭り公園に到着 すると、気温は7℃。高遠城址公園のグラウンドゲートから公園内に入り、濃いピンク色 で小さめの花弁の3分咲きの小彼岸桜を鑑賞しながら、散策。 今回は公園で3時間も自由時間があったので、高遠城址公園の南側の南ゲートから出て、 絵島囲み屋敷(えしまかこみやしき)を見学し、三峰川(みぶがわ)に架かる白山橋 (はくさんきょう)から高遠ダムを見たり、三峰川沿いの道を東に歩き、高遠さくらホテル まで行き、そこから同じ道を戻り、南ゲートから高遠城址公園に入り、北ゲートから出て 進徳館を見学し、更に元高遠城楼門を見学し、公園のバス専用駐車場に駐車してある バスに集合時刻1時間前に乗り込んだ。散策を堪能し、疲れも出てきて、寒くなってきたし、 小雨が降ってきたので、ちょうどよいタイミングだった。 【旅程】 名古屋駅(8:30出発)→中央自動車道「恵那峡SA」(10:00-10:15)→ ビヤンデ(トイレ休憩と買物)→高遠城址公園(自由観桜12:15-15:15)→ ビヤンデ(トイレ休憩と買物16:05-16:25)→ 中央自動車道「内津峠PA」(17:45-18:00)→名古屋駅(18:40) |
登録有形文化財「高遠閣」有料休憩所(\200) |
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高遠城址公園 |
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桜雲橋(おううんきょう) |
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桜雲橋を下から見上げる |
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高遠城址公園から南を望む |
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高遠城址公園の3分咲きの小彼岸桜 |
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高遠城址公園 |
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高遠城址公園 |
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絵島囲み屋敷 |
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絵島の間 |
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下女詰所 |
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湯浴みの間 |
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厠(お手洗い)、庭、台所 |
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歴史博物館の中庭にある保科正之公と生母お静の像 (お静が正之公の大願成就を願い東京目黒の成就院に寄進した「お静地蔵」のレプリカもある) |
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歴史博物館の東の背景 |
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歴史博物館の西 |
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高遠ダム |
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白山橋 |
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白山橋に張り付けられた碑 (「山峡はここに極まる兜山 三峰川をまへに 城は立ちけむ」窪田空穂) |
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白山橋と高遠ダム(後ろに高遠城址公園) |
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三峰川沿いの道を東へ(「高遠さくらホテル」方面へ)向かう途中の景色 |
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高遠湖と東の山並み |
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高遠城址公園へ戻る登り階段と高遠湖 |
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高遠城址公園の外から登り階段を見下ろす |
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進徳館の門 (国指定史跡;高遠藩主内藤頼直が前藩主頼寧の意志を受け継ぎ藩士中村元起の熱望により 大学頭林復斎の助言を得て万延元年(1860年)3月郭内三之丸に内藤蔵人の屋敷を文武場 にあてて創設した藩学校である。) |
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進徳館玄関 |
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進徳館玄関の西(左)(生徒控所) |
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進徳館の裏(北)(中央:聖廟) |
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進徳館の裏(北)(左:筆学所) |
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進徳館の裏(北から南を見る) |
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進徳館の裏(西から東を見る;右:教授方師範の間;左:聖廟) |
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進徳館の裏(北西から南東を見る;右:学習詰所;左:文庫司詰所) |
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進徳館の裏(北から南を見る;右:文庫司詰所、左:教授方詰所と筆学所) |
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高遠城大手門 (説明板の説明:この門は高遠高等学校が、この地にあった昭和59年(1984)まで正門として 使用されていた。明治5年(1872)新政府から城郭の取り壊しを命ぜられ、城の建造物や樹木は、 競売に付されすべて取り払われた。当時、城内には大手、二ノ丸、本丸、搦め手の4つの櫓門 (間口5〜6間、奥行2間の二層門)があったが、いずれも競売されて民家や寺院の門として払い下げ されていった。この門は、そのうちの一つで大手門といわれているが、その形は切り詰められ 当時の姿ではない。昭和29年(1954)に高遠高等学校の正門として、伊那市富県(とみがた)の 那須退蔵氏(亡)より寄贈を受け移築されたものである。 |
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高遠城大手門を北からバス専用駐車場方面に見る |
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