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2019年10月20日午前から午後にかけて、徳川園と建中寺と大塚屋へ行ってきました。
名古屋まつりは10月19日、20日と2日間開催予定だったが、前日は雨天で中止。20日のみの開催となった。
今回は名古屋まつりを見に行かず、徳川園と建中寺などへ行った。

名鉄瀬戸線「大曾根駅」で下車し、徒歩10分ちょっとで徳川園へ。

<徳川園の散策ルート(マップ参照)>
徳川園の大曽根口→龍仙湖→徳川園ガーデンホール→茶室→大曽根の滝→黒門口

午前11時、徳川園ガーデンホールで1部のジャズコンサートを聴いた(11時40分頃終了)後、園内を散策し、
黒門口から建中寺へ徒歩10分ほどで到着。

<徳川園でのジャズコンサート>
1部11:00-11:30: Original Swingy Guys (向陽高校のOBが名古屋市中川区を拠点に活動しているグループ
←説明を聞いたときによく聞き取れなかったので、私のこの説明は間違っているかもしれません)
2部14:00-14:30: 中部楽器技術専門学校

建中寺では名古屋市東区の区民祭り「なごやかまつりひがし」が建中寺境内と建中寺公園で催されていた。
建中寺本堂前の「建中寺ステージ」と山門前の「ロードステージ」というステージが2か所あり、
午後1時に名古屋市立工芸高校のブラスバンド部によるジャズ演奏を聴いた。
演奏前に名古屋市会議員の佐藤夕子さん(名古屋市長の河村たかし氏が衆議院議員時代の秘書)に会って
声を掛けたら、丁寧に挨拶され好感を持った。
「建中寺ステージ」と「ロードステージ」では各種プログラムが同時に進行していた。

★徳興山建中寺<出所:徳興山建中寺のホームページ>
建中寺は慶安三年(1650)に逝去した初代尾張藩主義直公(家康の九番目の息子)の菩提を弔い、
尾張徳川家先祖代々の菩提寺として、また尾張藩すべての人々の心のよりどころとするために、
第二代尾張藩主徳川光友卿が、慶安四年(1651)境内地約五万坪(165,000u)の敷地に、本堂を
はじめとして諸堂伽藍十棟を建立し、茨城県結城市弘経寺の成譽廓呑上人を招請して開山した。

建中寺ステージでのプログラム(12:00〜):
子供会みこしパレード;キッズチアダンス・アクロバットジャズダンス;書道パフォーマンス(明和高校書道部);
ダンス(菊武ビジネス専門学校ダンス部);ウクレレバンドの演奏と歌;ダンス(旭丘高校ダンス部);
キッズチアリーディング(チアリーディングクラブ)

ロードステージでのプログラム(12:40〜):
子供会みこしパレード;ビッグバンドジャズ演奏(名古屋市立工芸高校ブラスバンド部);
ダンス(愛知商業高校ダンス部);阿波踊り(山吹ワーキングセンター);書道パフォーマンス
(愛知商業高校書道部);民踊おどり(東区女性有志);
山車揃え(神皇車・湯取車・鹿子神車・河水車・王義之車)

ロードステージから南に延びるで販売コーナーで、おでんやわらび餅を買い、食べた。
午後1時40分頃、筒井町のうどん屋さん「岩正」で昼食の親子味噌煮込みうどんを食べてから、私は
あまり興味はなかったが妻の要望で、徒歩10分程で大塚屋へ。

*「岩正」:
手打ちうどんで安く非常に値打ち。普通の味噌煮込みうどんは650円。親子味噌煮込みうどんは750円。

かなり疲れたので、予定していた名古屋まつりを見に行くことは断念した。


徳川園のマップ
龍仙湖
徳川園ガーデンホール前から北側を望む
徳川園ガーデンホール
茶室
大曽根の滝(上から見下ろす)
紅葉(園内の一部の木々に紅葉が始まりつつある)
徳川園ガーデンホールでのジャズコンサート風景
徳川美術館(黒門口を出て左側;外壁に葵の御紋が見える)
黒門(徳川園と逢左文庫への入り口)
建中寺の本堂(本堂の前に「建中寺ステージ」がある)
                   明王殿(不動堂;建中寺の境内)
(東海36不動尊霊場;本尊不動明王は、江戸時代から尾張徳川家戦勝祈願の秘仏として
伝えられてきた大変貴重なものである<出所:徳興山建中寺のホームページ>)
                        三門(三間重層門)
(三門とは空門・無相門・無願門の三解脱門の意味を持ち、佛教の覚りの境地を表すものである。
<出所:徳興山建中寺のホームページ>;建中寺の三門前の「ロードステージ」で
名古屋市立工芸高校のブラスバンド部によるジャズ演奏が行われている)
建中寺の南の山門(本堂とこの山門の間に立派な三門(上の写真)がある)
筒井町のうどん屋さん「岩正」