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2025年11月3日時々小雨が降る中、「第4回品野塾 中馬街道を歩く会」に参加し、
中馬街道の一部を歩いてきました。
23名が参加し、マイクロバスは補助椅子も利用された。

マイクロバスは下品野地域交流センターから岐阜県土岐市曽木町住久保
まで参加者を送り届け、ここから西の土岐市曽木町大草までの中馬街道を
参加者が道祖神や馬頭観音などを見学しながら歩きました。
大草から帰路の途中、土岐市鶴里町柿野の寶樹山荘厳寺に立寄り、
見学時、住職が説明して下さりました。

[経路]
交流センター駐車場(9時)→(国道363)→住久保(バス下車)→(中馬街道)→
曾木公園→曾木大草→(国道363)→鶴里支所・公民館(バス乗車)→
(国道363)→寶樹山荘厳寺(バス下車・見学、バス乗車)→(国道363)→
交流センター駐車場(12時)

中馬街道とは;
名古屋より瀬戸を経て、柿野・細野・曾木を通り、大川・明智を経て、
飯田に至る街道である。

写真を散策順に示します。
写真説明は中馬街道を歩く会から受領した「中馬街道史跡紹介」や
説明看板等を参照。


   土岐市鶴里町の雨沢公民館近くの白鳥神社で雨沢白鳥神社石仏群を見学
(注)白鳥神社は近くに4ヶ所ある。
土岐市鶴里町柿野2240
●土岐市鶴里町柿野3660が写真の場所と推定
土岐市鶴里町細野1212-1
土岐市曾木町311
双体道祖神と地蔵菩薩立像(住久保) 道祖神(住久保)
(通常は道路に面しているが、この
道祖神は正面が屋敷に向いていること
で珍しい。これは、当時、泥棒が屋敷に
何回も入り、それを防ぐためだったという)

道標(住久保)
(写真右;道標の造立は江戸時代で、
街道の発展と深いつながりを持っている。
旅する人馬の安全を祈り、利便を考えた。
往時の心温まるものがある)

馬頭観音(住久保)
(基壇、基礎上に船形光背の中央に三面八脊臂)
三面六臂(三つの顔と六つの腕とを一身に
備えた形をしていること)→仏像の姿に由来し、
一人で数人分に匹敵する活躍をすることを
たとえた言葉。三面八臂(顔が一つに目が三つ
<顔に縦の第三の目を含む>、腕が8本ある)
という言葉はあるが、「脊」を使う言葉は
インターネットで発見できない。
馬頭観音(住久保)
(明治41年8月吉日沼田嘉兵衛と刻まれている)
水神(曾木温泉跡地《曾木公園》の池の
端に造立された水神(住久保);
元々屋敷内に有ったものが、当地に移転
されたものと思われる。水神は水を司り、
火災を防ぐ神、稲作の神でもある)
曾木公園 君が塔(住久保;バス停《曾木温泉》脇)
(五輪塔)(曾木温泉の遊女お君の墓と伝えられ、
「君が塔伝説」がある。遊女と武士の悲しい
物語である。鎌倉末期から南北朝期の作
と言われている)
六角石憧(いしとう)(住久保)
(江戸時代のものである。
六道に輪廻転生する亡者を救うためという)
石仏(中洞)
(左:氏神、右:馬頭観音、昔、この曲がり道で
事故が多発し、近所の7軒で造立したもので、
毎年5月5日を供養日とし、現在では5日に近い
日曜日に供養している。造立後事故は無い)
馬宿跡(中洞)
(バーデンパークSOGIより0.8kmの場所の中洞;西は大草)
(中馬街道は本街道ではないので、宿場というものは無いが中馬が年に何千駄と通るので、
途中には自然と馬宿とか馬方茶屋といったものが出来た。曾木には大草と中洞に馬宿があった。
ここ中洞の小木曽敏夫氏宅を今も「うまやど」と土地の人は呼んでいる)
                            石仏(中洞)
(左から、子持ち地蔵:子を連れている地蔵は日本でも大変珍しい。
道祖神
山の神
若宮:御霊の神といわれる若宮である。気候不順による食糧不足などにより幼くしてこの世を
去った幼児や」、旅の途中で亡くなった人などを供養したものであろう。)

  中馬街道等の解説石碑(中洞)(左から、
打囃子(うちばやし)由来
中馬街道の由緒
中馬馬子唄
を解説した石碑

馬頭観音(中洞)
(信州高遠大蔦村 善兵衛の引いて来た馬が、
この場所で息絶え、その馬を供養するため
文政元年寅十二月十八日馬頭観音を造立した)
道祖神(道祖神は道標として各所にありますが、
ここは大草と中洞の境であることも示しています)
五十二ノ三馬宿跡
(曾木には大草と中洞に馬宿があった。
大草の馬宿は(小木曽利十郎氏)今は無く、
道を挟んだ向かいがその跡地である。
名古屋から帰る馬はここで泊って、次の日は
上村の横打までの道を、荷物を脊に歩いた
ものである。)
五十二ノ二 馬頭観音
(この中馬街道は毎年何千頭という馬が、
荷物をつけて通った道である。馬頭観音が
祀ってある道は古い道と言える。
この馬頭観音は、馬の持ち主が馬の供養と
無病息災を祈って造立したものと思う。
明治丗三年二月吉日 小木曽房次郎 とある)
常夜灯(燈籠様)(大草)
川のほとりに石垣を積み、その上に常夜灯が
建っている。曾木の中洞、大草の伊勢神宮、
水神、金毘羅宮、秋葉社の講中で造立した
ものである。三河旭町で数多くの石造物を手掛
けた信州高遠石工藤沢郷北原の北原七兵衛の
作である。
梅屋の「さざんか」と道祖神(大草)
(細野から曾木に入ったこの地に梅屋と呼ぶ質屋があった。「さざんか」(樹齢250年ともいわれ
ている)が当時の面影を残している。また、石垣の角に小さな道祖神が造立されている)
道祖神(大草)
町内には数体の道祖神がある。道祖神は
旅人を導き、安全を祈る神である
酒屋(浦野家本家)
(大草の入口に当たる浦野家は、往時、酒屋と
して栄え昔のたたずまいを今も残す旧家である。
いくつかの蔵を持ち、中世武家屋敷を思わせる
豪壮な建物である)
寶樹山荘厳寺(ほうじゅざんしょうごんじ)(土岐市鶴里町柿野2245-1)と
荘厳寺の石垣に設置されている石造(右)
寶樹山荘厳寺の本堂
                 荘厳寺境内の三十三観音
「三十三観音」は仏教の観音菩薩が衆生済度のために三十三の姿に変身するという経典
の教えに由来する、三十三の観音様を祀る霊場を巡る巡礼の総称。
観音様とは人々の苦しみを聞き、救ってくださる慈悲深い仏様である観音菩薩
(観世音菩薩、観自在菩薩)の通称)