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松平郷
"Matsudaira-Go" district
[Photos taken on August 14, 2008]

 

2008年8月14日、愛知県豊田市松平町にある松平郷(まつだいらごう)を訪れ
徳川家康が祭ってある松平東照宮や、松平家が代々産湯の水として利用した
井戸、松平家の菩提寺の高月院、松平家の始祖の銅像などを見学してきました。
見学途中、天下茶屋で昼食を取り、土産<写真参照>を購入。更に、帰宅途中、
松平町の隣の豊田市九久平町にある、和菓子屋さん、志満屋(しまや)で土産
<写真参照>を買い自宅のある愛知県瀬戸市へ。

アクセス
《往路》 瀬戸市の自宅から約1時間
国道155号→国道153号(挙母町交差点で国道301号に合流)→
国道301号→松平橋で右折し、案内板に従って松平東照宮の駐車場へ。
《帰路》 瀬戸市の自宅まで約40分
国道301号→東海環状自動車道「豊田松平IC」→「せと赤津IC」

瀬戸市には愛知高原国定公園「定光寺」(尾張徳川家の菩提寺)、「岩屋堂」、
「雲興寺」がありますが、松平郷も愛知高原国定公園になっており、歴史を
体感する目的のみならず散策するだけでも素晴らしい場所です。
今回は松平城址へは立寄りませんでした。

5月頃のアジサイ、夏のスイレンなど、秋のカエデの紅葉と春から秋にかけて
いろいろな花が見られますが、紅葉の季節は特に素晴らしいように思われます。

備考
1 松平氏の発祥:
松平家の開拓領主は、後宇多天皇(在位1274〜1287年)に仕えた公家の
在原信盛と言い、入郷したのは弘安年間(1278〜1287年)の頃で、現八幡神社
松平東照宮境内に本屋敷を構えたと伝えられています。信盛の子、信重は、
開拓を進め、人馬の道を作り、交通の便を図りました。後にこの地を訪れた旅の僧
徳阿弥(とくあみ→ウェブページ作者)は信重の末娘水女の婿として家を継ぎ親氏と
称しました。 ここに徳川家の始祖松平太郎左衛門親氏(不祥〜1394年4月24日没)
の出現です。

2 松平家の始祖、松平親氏の願文(写真参照)の意味:
天下は和にしたがい日々清明であれば災いは起こらず、国は富み民は安らか
で戦いは無用。よって人はつねに徳を尊びいつくしみの心を以って礼を厚くし
人格の向上に努めるべし。

3 松平東照宮:家康と松平家の始祖、松平親氏が合祀されている
現地説明板→
・・・松平家の氏神として若宮八幡を奉祀(ほうし)し、元和5年(1619)に
久能山東照宮より徳川家康公の御分霊を勧請(かんじょう)して合祀して以後、
「松平の東照宮」と呼称され、立身出世の神、政治の守神、安産の神、厄除けの神
として広く崇敬され親しまれている

4 産湯の井戸 : 松平家が代々、この井戸の水を産湯として使った。
現地説明板→松平家・家康公産湯の井戸
竹千代(後の家康)が岡崎で生まれた時、竹筒に、この井戸の水が詰められ、
早馬で岡崎城まで届けられた。

5 高月院:1367年創建で、徳川家の始祖、松平家の菩提寺
1367年足助次郎重宗の子、重政(寛立上人)が松平郷主、在原信重の援護を
受けて「寂静寺」として建立したと言われています。1377年に親氏が本尊阿弥陀仏
をはじめ、堂・塔のすべてを寄進してから「高月院」と改め、松平氏の菩提寺となって
います。 その後、徳川家康によって寺領100石が与えられ、明治維新まで時の
将軍家から厚い保護を受けていました。山門や本堂は、1641年に徳川家光に
よって建てられたものと言われています。
*山門前の石碑と本堂の正面の説明板に「法然上人三河二十五霊場第1番」と
書かれている。

6 松平郷園地
松平東照宮から高月院にかけての2ヘクタールが、歴史と自然の里「松平郷園地」
として整備されています。・・・園地の入口には松平8代を象徴する7対の石柱と
初代親氏の銅像が設けられ、人々をいにしえの時代へといざないます。高月院に
至る約250mの遊歩道沿いの「室町塀」や「冠木門」は室町期の歴史景観を醸し
出します。また、親氏と水女の出会いに思いを馳せる親水緑道「あやめ恋路」の
山野草や、自然の象徴ともいえるハッチョウトンボの生息するトンボ沼などが
自然とのふれあいを演出します・・・。

7 高月院の境内にある徳川家や皇族御手植の松の一部(写真掲載分は除く)
徳川宗家第18代恒孝公御手植松
秩父宮妃殿下御手植松(昭和45年)
高松宮殿下御手植松(昭和47年)


8 国指定史跡「松平氏遺跡」
・・・松平氏館跡(現松平東照宮)、松平城跡、大給城跡、高月院の四箇所が
初期松平氏の状況をよく伝えていることから、一括して松平氏遺跡として国の
指定史跡となった・・・。

9 仏足石 <高月院本堂への上り階段左手>
お釈迦様の足跡です。 インドにおける仏足石は、お釈迦の代理を
意味し、そこで説法されたことを示します。仏足石はお釈迦様の遊行転法論
を表し、足裏に描かれている図を千輻輪相(せんぷきりんそう)といいます。
仏足石のお守りをお授けします。石畳を上がって右、朱印所までお越し下さい。   

備考の出所
「松平郷」(豊田市、豊田市観光協会発行)
豊田市観光協会のウェブページ→
http://www.citytoyota-kankou-jp.org/sansaku/matsudairagou/index.html
現地の説明板


笠掛けの「かえで」と
見初めの井戸(跡)
<駐車場から松平東照宮への遊歩道沿い>
松平東照宮横の無料休憩所(左)と休憩所前の美しい葉<右>
産湯の井戸 <備考4参照> 産湯の井戸の横の大きな祠
松平東照宮<備考3参照> 松平東照宮の池
松平8代を象徴する7対の石柱(左)、と松平家の始祖、松平親氏の銅像(右)
備考1備考6参照>
松平親氏の願文
備考2参照>
夏水仙
<親氏の銅像の後ろの坂道の上>
睡蓮<天下池> 天下池(龍池)
<親氏が助けた蛇が龍になって
雨を降らせ、田畑を豊作にした>
天下茶屋の冠木門
<「織田がつき羽柴がこねし天下もち、
座りしままに食うは家康」と書かれた幟>
室町塀と女郎花(おみなえし)
<約250mの遊歩道沿いに設置;
備考6参照>
高月院正面
備考5参照>
横から見た高月院と鐘楼(右)
昭和12年春 徳川義久公御手植の松
<境内には、他にも沢山、徳川家や皇族
御手植の松がある;備考7参照>
元信君(徳川家康公)御手植
<シダレザクラ>
高月院本堂から山門を見下ろす
<参道は砂>
高月院山門
仏足石<備考9参照>
蕎麦菜(そばな) 沢桔梗(さわぎきょう)
東海環状自動車道「鞍ケ池PA」から利用できるPA園地<鞍ケ池公園ハイウエイオアシス>
PA展望台<左>とそこから北西を望む景色<右><写真ではわかりませんが、
名古屋のツインタワーや鈴鹿山脈や瀬戸市の地上デジタルタワーが見えます>
天下茶屋で買った土産
<天下もち、五平もち、胡麻豆腐>
和菓子屋さん、志満屋で買った土産
<権現もち、竹炭わらび餅→両方とも非常に美味しかった>
《権現とは家康公の没後の呼び名:東照大権現》