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2019年9月14日(土)・15日(日)に第88回せともの祭りが催され、初日のみ散策してきました。
9月14日午後1時に、旧山繁商店の建造物群の見学ツアーに参加しました。旧山繁商店は
約2,500m2の敷地に9棟の建物が現存しており、いずれも国の有形文化財に登録されています。
[旧山繁商店の説明は、ツアー当日現地で頂いた説明パンフレット「旧山繁商店」などを参照]
このツアーの主催は瀬戸市歴史文化基本構想を活用した観光拠点形成のための協議会
(瀬戸市地域振興部文化課)です。

磁祖加藤民吉が誕生してから250年となる2022年に向けてスタートする「磁祖加藤民吉生誕250年事業」
の為に次のようなキックオフイベントが開催されます。

[キックオフイベント 場所:青の広場]
★民吉と天中和尚像公開制作
★民吉フォーラムPR
★民吉の九州での足跡を辿るビデオ上映、パネル展示
★熊本県長洲町PR「金魚のまち」ならではのグッズ販売
★熊本物産・くまもんグッズ販売

[恒例のイベント]
★せともの人形の展示「藤娘」[場所:パルティせと1階]
★ミスせともの発表披露会[14日午後2時〜2時30分 場所:瀬戸蔵つばきホール]
★花火打ち上げ[14日午後7時〜7時40分 場所:権現山]
[場所:青の広場]
★瀬戸染付焼(国の伝統的工芸品に指定されている)の展示・販売
★民吉伝承の匠の技の実演(染付職人による実演
<@午前10時〜A午後1時〜B午後3時〜>
★染付ワークショップ <午前9時30分〜午後4時30分>(受付終了:午後4時)
(参加者が5寸皿(\500)や陶器・磁器プレート(\400)に呉須の青色顔料
で絵付けする。染付作品は焼成後、後日、瀬戸蔵で渡される。発送もできる)

[瀬戸蔵]
★磁祖加藤民吉ゆかりの地を巡るガイドツアー
9月14・15日午前10時〜(受付終了午前10時30分)
集合場所:瀬戸蔵1階アトリウム
所要時間:約1時間

その他、瀬戸蔵1階の屋外広場では瀬戸染付工芸館・新世紀工芸館研修生作品展、
瀬戸蔵4階の多目的ホールでは6古窯の器を楽しむお茶セミナー(@午前10時〜A午前11時30分〜
B午後2時〜C午後3時30分〜)などが催される。

私は旧山繁商店・旧川本桝吉邸の公開コラボイベント。国登録文化財旧山繁商店建造物群
の見学ツアー(9月14・15日@午前10時〜A午後1時〜B午後3時〜)に注目し、初日の午後1時参加。

旧山繁商店<以下の説明の出所:旧事務所の南に張り付けてある説明板>:

近代瀬戸屈指の陶磁器問屋の建造物群

江戸時代から明治維新を経て、かつての尾張藩による蔵元制度が廃止されると、
明治期の瀬戸の陶磁器産業には自由競争・自立自営の道が開かれていきます。
明治20年(1888)頃、初代加藤繁太郎は、山繁陶磁器商店という卸売業を始めました。
瀬戸村を東西に流れる瀬戸川の北側丘陵地には多くの窯屋があり、
「北新谷(きたしんがい)」と呼ばれていました。明治38(1905)に瀬戸自動鉄道
が開業するなど、北新谷は窯業製品の集積や運搬に適した場所でした。山繁商店
は北は北海道、南は九州大分あたりまで全国各地の問屋や個人との取引があり、
当時は「巨工富商」とも謳われた瀬戸屈指の陶磁器卸問屋でした。

明治・大正の表玄関[西口]
主屋(明治12<1879>年建造<現存せず>の南側に2階建ての「離れ」を建造したのは、
明治22<1999>年のことと考えられますが、2階に茶室も設けたゲストハウスとしての
大きな「離れ」は、明治44<1911>年の梨本宮守正王<なしもとのみやもりまさ>、
昭和2(1927)年の李グウ公ら内外の要人をはじめとする来訪・応接の舞台となりました。
南面の黒漆喰塗外壁が、塀とともに重厚な街路景観を創出しています。
「土蔵」は、明治36<1903>年に主屋に付属する道具蔵として建てられたものと思われます。
大正3(1914)年には、西側出入り口に「旧事務所」、その東側に「新小屋」(しんごや)と
呼ばれる桁行(けたゆき)10間に及ぶ長大な土壁造りの倉庫建物が建造されます。
大正7(1918)年には東京日本橋蛎殻町(かきがら)に丸寿(まるす)商店を開設し、翌大正8年
には「山繁合名会社」に組織変更し、会社組織とての体制が整えられました。
旧事務所や離れの西側に面している市道背戸側(せとがわ)朝日線は、江戸時代以前から
北新谷の山裾に街路としてあり、明治・大正期の表通りとして賑わいました。
通りの突き当り部分に築かれた離れの塀には、左右に末広扇形を象った石垣の意匠
が見られ、当時の表玄関としての気概が感じられます。
昭和に入り、敷地の東側に通称「池田通り」ができると、トラック等による運搬に
便利な東口が表玄関となります。
旧山繁商店の建造物群は、陶磁器卸問屋として明治・大正・昭和の各時代を生き抜いた
きた歴史を示す貴重な建造物であるため、平成27年11月19日に国登録有形文化財と
なりました。
瀬戸市教育委員会 (瀬戸市地域振興部文化課)


せともの人形「藤娘」
青の広場
青の広場で「加藤民吉と天中和尚の像」公開制作中
青の広場で「染付体験コーナー」
昔のメイン道路(市道背戸側(せとがわ)朝日線;記念橋から北に伸びる
幅が広い道路(池田通り)の西側の狭い道路で、昔のメイン道路;記念橋
から北に直線300m位の所)の左に臨時の食事提供ブースがある
旧山繁商店
(道路奥の突き当りが「離れ」、その右が「旧事務所」、右端が「新小屋」)
「離れ」の塀の石垣(矢印部は末広がりの石組みになっている)
離れ(明治22年築;木造2階建て8畳の部屋が4つ)
離れの北の土蔵
(明治36年築;以前はこの間に主屋があった)
離れの2階の茶室
(壁の漆喰と下地の土が見える:下地の部分には板が張り付けてあったと推測)
離れの2階の茶室の天井(縦・横・垂直・斜めに梁がある)
離れの2階から南に市道背戸側(せとがわ)朝日線を見下ろす
離れの2階から北に北新谷地区を眺める
(以前はこの地区に大窯、登り窯などがあった)
離れの昔の鬼瓦(破損しているが、家紋の下がり藤があしらわれている)
新小屋(大正3年築)の2階
(土蔵造の倉庫;太い梁が縦、横、垂直、斜めに設けてある;南には窓が無い;
陶磁器製品を保管するために日光の直射を避けたと思われる)
昭和の表玄関の新事務所(昭和22年築;木造平屋建て)
記念橋から南北に延びる直線道路「池田通り」に面している
                    新小屋と前倉庫の間
(新小屋の西に隣接するように昭和の新事務所がある。完成品がここからトラックに
積み込まれ出荷された;
前倉庫(昭和22年築)、中倉庫(昭和22年築)、奥倉庫(昭和25年築)は公開されていません)
「瀬戸蔵」4階多目的ホールでのイベント
「日本遺産のまち瀬戸市 六古窯の器を楽しむ お茶セミナー 参加無料 和菓子付き 」
(9月14日・15日 @午前10時〜A午前11時30分〜B午後2時〜C午後3時30分〜 
各回定員16名 30分前から受付)
瀬戸蔵2階から西側の広場を見下ろす
瀬戸蔵2階から東側の広場を見下ろす
         瀬戸市立本山中学校の陶芸クラブ制作の陶器製マグネット
(本山中学校は今年で閉校;本山中学校、祖東中学校、道泉小学校、深川小学校、
祖母懐小学校などが小学生・中学生一貫校として統合される)
瀬戸蔵2階から東(記念橋方面<青の広場方面>)を望む
瀬戸蔵2階から西(パルティせと方面)を望む
窯神橋から東を望む