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Other Seto_Scenery
No. 241参照 風水都市計画で出来た瀬戸村 Seto Village Founded by City Planning through Fortunetelling |
2019年9月21日(午前10時〜12時)、定員20名が瀬戸市文化課の佐野さんと山内さんの 説明を聞きながら、昔の瀬戸市の中心部を見学。 台風17号が沖縄から九州方面へ向かう中、雨を心配していたが、見学中は曇りで、 絶好の天気だった。 企画の名前は次のように長い。 【せと歴 - 見てみよう、訪ねてみよう、せとの歴史と文化財】という構想の下、 『歴史文化基本構想推進事業 瀬戸の魅力再発見 せと 歴史と文化財を知る見学会 郷・旧桜町を歩く』という企画。 旧桜町界隈 現在の前田町、陶生町近辺が明治時代〜昭和初期に桜町で、桜町界隈には200人もの芸妓が いたと言われ、深川神社の石柵や、城見山の石碑には寄付者として多くの名前が残されている。 [見学コース] 窯垣の小径駐車場→城見山(経塚山)(【注1参照】秋葉神社、興龍寺)→ 瀬戸染付工芸館(古窯【注2参照】)→江戸時代末期創業の伊藤伊平家(古陶園竹鳳)→ 石神社【注3参照】→蛭子湯→瀬戸栄泉教会→陶祖藤四郎邸宅記念碑→山口神社【注4参照】 →窯垣の小径駐車場 [説明は当日見学会主催者の瀬戸市地域振興部文化課から頂いた資料を参照] 【注1】城見山にある石碑等 @御直保稲荷(「正一位御直保稲荷大明神」石碑) 岐阜県海津市にある千代保稲荷(通称、おちょぼさん)の分霊。 城見山にある御直保稲荷社殿は痛みが激しいが、以前は瀬戸に住む職人などが お参りにくる場所でした。 御直保稲荷は商売繁盛の神であり、芸者衆の信仰も厚かった。 現在の前田町、陶生町近辺が明治時代〜昭和初期に桜町で、多くの芸者衆がいて、 花街として賑わっていた。昭和初期にこの花街は今の新開地に移った。 A正伝流 一夢斉寿碑(華道)<大正13年11月建立;写真なし> 正伝流は明治時代に小西一夢斉が興した華道の流派。 B千秋流 静暁庵[じょうぎょうあん]寿碑(華道)<大正13年5月建立;写真なし> 千秋流は華道の名家であり、未生流(みしょうりゅう)から分かれてできた華道の流派。 歴史は古く、1852年に浄土宗の上人によって創設された。 千秋流が瀬戸に伝わったのは明治12(1879)年。石碑にある静暁庵は本名を中島ふじ と言い、赤津に生まれた人物。 C杵屋狐松(きねやこまつ)寿碑(長唄)<大正10年11月建立;写真なし> 杵屋とは長唄三味線の流派で、1615-1624年に杵屋勘五郎が江戸で興した流派。 杵屋狐松は瀬戸で民衆に三味線を教えた人物。 寿碑は生前に建てられることから大正期を中心に活躍した人物。 D加藤重左衛門(しげざえもん)翁碑<大正10年7月建立;写真なし> 加藤重左衛門は藤原町を命名した人物。 命名当時の藤原町は瀬戸川左岸の宮脇橋から公園橋付近までの通称「中堤」と呼ばれている 範囲でした。大正7(1918)年頃に陶祖藤四郎の宅跡をめぐり、東部と西部が争った。 ついに東部は藤原町から杉塚町へと名前を変えてしまいました。藤原町と名付けた 加藤重左衛門は陶祖の宅跡は西部だと主張していたため、記念碑を建立した。 E竹本土佐龍之碑(義太夫)<大正10年10月建立;写真なし> 竹本土佐龍は、名古屋に住み民衆に義太夫を教えた4代目竹本土佐太夫の娘。 土佐龍も義太夫を教えたと推測。 F竹本春登(はると)之碑(義太夫)<大正13年11月建立;写真なし> 竹本春登は義太夫の一派の者であると推測。 ★義太夫とは、竹本義太夫が祖の浄瑠璃の一派のことで、1684年大阪道頓堀に竹本座が 創設された。浄瑠璃とは物語を三味線の伴奏で語る音楽のことで、声を担当する 「太夫」tp、三味線弾きが対になって演奏するものを指す。明治維新後、女義太夫なども 流行し、歌舞伎と並んで芸能人気の頂点にあった。瀬戸では栄座、陶栄座、陶元座などで 公演が行われていた。 【注2】古窯 本業窯が陶器、丸窯が大型磁器を焼成したのに対し、古窯は中・小型の陶器と磁器を併焼。 瀬戸染付工芸館の古窯は、主に小型の磁器製品を焼成。現在地より南の城見山にあったが、 昭和22年(1947)に移築、昭和39年(1964)まで使用されていた。2007年11月30日、経済産業省 により近代化産業遺産群に認定された。 【注3】石神社 年貢が免除される除地。瀬戸五社に含まれる。 祭神:猿田彦命 【注4】山口神社(写真なし) 年貢が免除される除地。瀬戸五社に含まれる。 祭神:大山?命(伊弉諾尊・伊邪那美尊の子) |
窯垣の小径駐車場から城見山への坂 |
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城見山への坂に沿って保育園「共存園」があった。 その後看護学校が建てられた。今は階段の手すりだけが残っている。 |
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秋葉神社 |
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興龍寺 城見山興龍寺(じょうげんざん)。高野山真言宗の寺。 開基は快導和尚。本尊は千手千眼十一面観世音菩薩。 |
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城見山から坂を下る。右に瀬戸染付工芸館が見える |
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瀬戸染付工芸館の古窯 (幕末から5代まで続いた伊藤伊平家で使用されてきた ものであり、代々染付磁器が生産されてきた) |
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伊藤伊平家(古陶園)の染付焼の門柱 |
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蛭子湯(蛭子町) 木造2階建て。1階の天井を高くし、換気の為に前面に高窓を設け、屋根が 三重になっている。昔は瀬戸市内に40軒ほどの銭湯があったが、今では2軒のみ。 |
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瀬戸栄泉教会礼拝堂の天井裏小屋組み 瀬戸栄泉教会礼拝堂は1900年の建造と言われ、礼拝堂天井裏小屋組みは洋風建築の トラス構造と、土蔵等に見られる和小屋状の貫の構造が組み合わさった和洋折衷の特徴 がみられる。建造から今日に至るまで基本構造が変わらず教会堂として現役である 瀬戸栄泉教会礼拝堂は、大変貴重な文化財。 |
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瀬戸栄泉教会礼拝堂でオルガンを演奏していただいた |
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