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織田信長の清洲と前田利家の荒子
Kiyosu of Warlord, Oda Nobunaga and
Arako of Feudal lord, Maeda Toshiie
[Photos taken on Aug. 14, 2010]


2010年8月14日,瀬戸市の自宅から東名阪自動車道(大森IC→清洲東IC)を利用し
愛知県清須市の清洲城(織田信長の居城)に到着(所要時間:約35分)。
清洲城内の見学と、付近の清洲公園など散策で3時間程滞在。 次に、清洲城から
名古屋市中川区荒子町(前田利家が生まれ育った場所)へ(所要時間:約20分)。
荒子観音寺などを見学し約2時間程滞在。

清須城(清洲城ではない)は1478年頃から尾張の政治・経済・司法の中心地となり、
関東の巨鎮と称えられ、尾張はもとより東国の中心地として発展し、京都、大阪に
次ぐ都市であった。 その清洲が清須越(きよすごし;*参照)を実践させる徳川家康
の命令で城下町としての清洲が消滅し、美濃路の宿場町へ姿を変えた。
即ち、清洲の城下町の建物や機能が全て名古屋へ移り、尾張の政治・経済・司法の
中心も名古屋へ移り、清須城と清須の城下町は無くなった。
家康の権勢と様々な苦い体験からの熟慮からとはいえ、驚嘆。

*清須越
1610年(慶長15年)徳川家康が清須城の廃都と名古屋遷都を命じ、3年後には
清須越が完了

*清洲城の城主の変遷
本能寺の変で@織田信長が倒れた後、城主はA信長の長男、信忠、B次男、信雄
(のぶかつ)、C豊臣秀次(関白)、D福島正則へと変わり、関が原の戦い以後、
城主はE松平忠吉(家康四男)、F徳川義直(家康九男)と変わった。
清須城下の人口は6万人で当寺、京都、大阪に次ぐ都市であった。

清洲町が調整100周年の1989年(平成元年)、清州のふれあい郷土館として
清洲城天守閣を再建。2005年(平成17年)、西枇杷島町、清州町、新川町が合併し
清須市となった後も清洲城は清須市のシンボルである。

*上記清洲城の説明はパンフレットと城の敷地内にある説明板を基に要約。

荒子地区では、荒子観音寺とその境内の建物、更に、ここから南西へ200m程の
所にある富士権現天満宮(荒子城跡)を見学。
駐車場は荒子観音寺の山門と反対側の境内にある。この駐車場から東へ50m位
の所にある和菓子店「もち観」で「円空もなか」(つぶ餡入り)とわらび餅を購入。

*荒子観音寺
1576年(天正4年)、織田信長により武功を認められ、越前の大名となった前田利家は
織田信長により焼き討ちされた荒子観音寺の本堂を再建。

*富士権現天満宮(荒子城跡):
前田利家の父、利昌が築城した荒子城で、利家は幼少から青年期を過ごしたとされる。
1575年(天正3年)利家が越前国府中(福井県越前市)に天正9年、利長も同地に
移るにおよび廃城となったとされている。

【参考】
速念寺(前田城跡):(今回は訪れていない)
建築年不詳。
前田利家が生まれ、7歳まで過ごしたとされる場所。


清洲公園案内マップ
<南北に流れる五条川はよどんで、きれいではなかった;水質が改善されると、更に魅力アップ>
清洲城
<本葺3層4階望楼付きの天守閣;清洲城広場側から見る>
石垣 <未加工の自然石を自由に積んだ、
野面積み>
搦手門 (城の東:大手門は西)
池の睡蓮と鯉
<搦手門を入ってすぐ前にあり、あずま屋が池の前に設けてある>
清洲城
<大手門の内側から見る>
日本庭園
<清洲城の敷地内;御殿の庭は白砂敷きの枯山水とし
美濃石を配置しポイントとして水琴窟が設けられている>
水琴窟へのアプローチ 水琴窟
芸能文化館<清洲城の敷地内>
<芸能文化館内でウェブ作者は甲冑を、かみさんは打ち掛けを着て記念撮影>
清洲城 <大手門外から見る>
<大手門両側には信長塀>
天守閣4階から北西方向を眺める
天守閣4階から東南方向を眺める
<JRツインタワーズがはっきり見える>
望楼付きの天守閣4階
大手橋から大手門と清洲城を眺める
五条川の対岸から大手橋、清洲城を眺める
「清洲ふるさとのやかた」
<大手橋を渡った所にあるお土産店でもある
「清洲ふるさとのやかた」で
「信長もなか」(つぶ餡入り)を購入>
「大地震紀念碑」(「記念」ではなく「紀念」?)
<「清洲ふるさとのやかた」の西にある>
清洲古城跡にある信長公お社
<左の石碑は「右大臣織田信長公古城跡」と彫られている;
中の石碑は「清洲城霊碑」と彫られている>
1560年(永禄3年)桶狭間の戦いに
出陣する26歳の織田信長の銅像
<清州公園>
濃姫の銅像
<清洲城広場>
荒子観音寺の山門
<山門の左に仁王《吽(うん)像:1676年(延宝4年)円空作。高さ328.5cm》
山門の右に仁王《阿像:1676年(延宝4年)円空作。高さ301.0cm》
どちらの仁王もガラスの反射でよく見えない>
荒子観音寺の境内
<右に鐘楼、左に六角の建物>
荒子観音寺の本堂
多宝塔 <荒子観音寺の境内>
<1540年頃、建てられ、名古屋市内に現存する最古の木造建築>
神明社
<荒子観音寺の境内の横にひっそりと構えている。
この拝殿の後ろに萱葺きの建物(下の写真参照)があるが、その用途は?>
神明社の拝殿の後ろにある萱葺きの建物
富士権現天満宮(荒子城跡)
「前田利家卿誕生之遺祉」と石碑に彫られている 荒子城跡の説明板