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2011年各務原市の手力雄神社
Tejikaraoo-Jinja shrine at Kagamigahara City in 2011 [Photos taken on Jan. 8, 2011] |
2011年1月8日正午頃、愛知県瀬戸市の自宅から国道155号を利用して岐阜県 各務原市那加地区の産土神である手力雄神社(てぢからおおじんじゃ)へ。 車で約1時間40分で目的地へ到着。 ここの手力雄神社とは、織田信長が焼き払おうとしたが金縛りにあって、自分の罪を わび、焼き払わなかった神社。そして稲葉山城(岐阜城)攻略の折、戦勝祈願し、 成就したことから、勝運・開運の神様と言われている。 拝殿後ろの本殿の東に隣接するように八幡神社があり、この本殿の梁の東側に 木彫寄木造りの龍が絡められています。これは、龍が抜け出しては付近の畑を 荒らすのを防ぐ為と言われています。 「市指定重要文化財 龍の雌雄」と命名している石碑の後ろにある石碑(写真参照) には二体の龍について次のように説明しています: 手力雄神社本殿を飾る二体の龍です。 この龍は木彫寄木造りで、細い体を本殿左右の梁に絡めています。 手力雄神社本殿とともに造られたと伝えられ、その精緻な造形から、 毎夜本殿を抜け出しては付近の畑を荒らしたという伝説が残っています。 製作者など詳細は不明です。 更に、境内には岐阜県天然記念物「紅さざれ石」(写真参照)や宮司の浅野義一氏が 題字を書いた「織田信長の顕彰碑」(写真参照)があります。 「紅さざれ石」石碑に次のように説明されています: わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで 古今集 よみ人知らず これは国家「君が代」の基となった歌で、この歌に詠まれている 「さざれ石」は学名を「石灰質角礫岩」と言い、石灰岩が 長い年月の間に雨水に溶解されてその乳状液が鍾乳石になると 同じ原理で地中で小石(さざれ石)を凝結して次第に大きくなり 地表露出したものである。 【参考】手力雄神社に関連する3つのインターネット情報 <1 出所:インターネット ウイキペディア> 永禄10年(1567年)、織田信長は当社で稲葉山城攻めの戦勝祈願を行い、戦勝後 は広大な社領を寄進したという。寺社勢力にも容赦ない攻撃で臨んだ信長にしては 珍しいが、これは信長が各務原へ攻め入り、周囲の寺を焼き払って当社に迫った ところ、霧が立ち込め体の自由が利かなくなり落馬した。信長がこれを神罰と恐れ、 以後崇敬し各務野原近里(現在の那加地区・尾崎団地・航空自衛隊岐阜基地・ 市役所一帯)千三百町歩を社領に付し、宝物等を寄進し文化財として今日に至る。 所在地 岐阜県各務原市那加手力町4 主祭神 天手力雄神 社格等 旧郷社 創建 六世紀 本殿の様式 流造 例祭 4月28日・29日 <2 出所http://jin.eek.jp/rekisi1.html 勝運・開運の神様 織田信長が岐阜城攻略の折、戦勝祈願し、成就したことから、勝運・開運の神として スポーツ関係等各種団体の勝運・必勝祈願の参拝者で賑わっています。 那加地区の総社でもあります。 ※総社:(そうじゃ、惣社とも書く)ある地域内の神社の神を集めて祀った神社のこと。 《祭神》 手力雄神(てぢからおおかみ)(天手力雄命:アメノタジカラオノミコト) 《相殿八座》 高御産霊神・神産霊神・美和都神・宇津井剣火御子三所神・伊波乃西神・ 村国神・村国真墨田神 《創立》 今から約1,400年前 《由緒》 御祭手力雄神は信濃国戸隠大明神と同神で、往古は佐良木郷ハヶ村の山中 に祀られていたのを、後に現社地に奉還され、佐良木郷の産土神として崇敬された。 文明(1469−1487)の頃、薄田源左衛門藤原祐貞が厚く崇敬した。永禄年間(1558− 1570)織田信長公が当神社に戦勝祈願をし、その成就の後、各務野原近里千三百町歩 を社領に付し、宝物等を寄進した。その後も旗本坪内・徳山等諸氏の崇敬も深く、 数百年来ハヶ村の氏子等により神事・指令・造営修復等変わりなく奉仕され今日に至り 現在は那加地区総社として崇敬されている。(手力雄神社資料より) <3 出所http://www.geocities.jp/unumajukujuunin/mukasihanasi/tetikarao.htm> ・・・織田信長は、今川義元を桶狭間の戦いで破った後、天下統一をめざし・・・ 稲葉山城を攻め落とすために各務原に攻め入った信長は、那加にある少林寺・法円寺 などを焼き払い、手力雄神社に迫りました。朝もやのなか、兵士たちが神社に火を つけようとした時でした。不思議なことに、突然一陣の風が沸き上がるように吹き荒れ、 霧が立ちこめました。信長は、目がくらみ息が苦しくなり、手足の自由を失い馬から落ち たのです。「神様のたたりじゃすぐにわびるのだ」と叫んだ信長は、手力雄神社に参拝し 自分の罪をわびました。すると霧はたちまちのうちに晴れ、信長ももとのように元気に なりました。これ以後、信長は厚く手力雄神社を敬うようになりました。・・・・。 |
手力雄神社 <道路側から拝殿方面を見る> |
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手力雄神社 <石の鳥居> |
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手力雄神社 <拝殿> |
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手力雄神社 <正面右側から撮影> |
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手力雄神社<正面左側から撮影> |
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本殿の梁の東側に絡められている木彫寄木造りの龍 |
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本殿の東に隣接するように位置している八幡神社 |
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「市指定重要文化財 龍の雌雄」と 命名している石碑 |
左の写真の石碑の後ろにある石碑 <二体の龍について説明> |
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「紅さざれ石」 |
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織田信長の顕彰碑 |
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