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長浜の町並みと慶雲館
Streets of Nagahama and "Keiunkan"
[Photos taken on May 5, 2011]

 

2011年5月5日、愛知県瀬戸市の自宅から車で滋賀県長浜市へ。
長浜市の町並みを中心に長浜城歴史博物館及び慶雲館などを見てきました。
ゴールデンウイークのため、帰路は渋滞に巻き込まれたが、2時間強で
帰宅できました。

町並みの大きさは想像以上。1軒1軒の店の入口が入りやすく、観光客を
もてなそうという雰囲気が伝わってきた。

ひとつだけ難を言わせて頂くと、食べ物がちょっと高い。

博物館通りを北に歩き、感響フリーマーケットガーデンを探していたが
見つからず、バイクを直そうとしていた、ちょっとヤンキー風の地元の
若い男女4人がいて、その内の1人の女の子に尋ねたら、わざわざ、
案内してくれると行ってくれたが、マップでわかったのでその親切には
丁寧に断った。別れ際、「楽しんでな」と地元の優しい方言で簡潔に
若若しい声で言われ、嬉しくなった。

今年は、NHKの大河ドラマの影響で、長浜市が浅井長政の三姉妹の
ふるさとということもあり博覧会が催されています。

<経路(約80km)と所要時間(約1.5時間)>

瀬戸市→東名高速春日井IC→米原IC→北陸自動車道「長浜IC」→
豊公園大駐車場
*東海環状自動車道は渋滞すると予測し、利用しなかった。

以下、写真で訪問先をご紹介します


長浜市の観光案内板
<青色の個所を見学した>
<いろいろ駐車場を探したが有料の駐車場も満車で、長浜城歴史博物館
前も満車、更に、探して、琵琶湖近くの無料の豊公園大駐車場(150台)
を発見、満車と表示されていたが、運良く、駐車できた>
長浜城歴史博物館
<南東から見る>
長浜城歴史博物館
<東から見る>
長浜城歴史博物館
<北東から見る>
5階の望楼(パノラマ展望台)から南を望む
5階の望楼(パノラマ展望台)から東を望む
5階の望楼(パノラマ展望台)から北を望む
5階の望楼(パノラマ展望台)から北を望む
5階の望楼(パノラマ展望台)から西を望む
秀吉・三成出遭の像
<JR長浜駅前>
北国街道
東西に伸びる大手門通り 
<アーケードがない通りからアーケード入り口を見る>
黒壁ガラス館(黒壁1號館)
長浜の名水
<由来記は備考1参照>
伊吹山よもぎ麩まんじゅうの「かどや」
<創業約240年;蓬饅頭をきな粉で
包んで焼いたものを店内で頂いた>
大手橋 <写真右に「石ころ館」>
祝町通り(東西に伸びる)
感響フリーマーケットガーデン
<この敷地に巨大万華鏡(右の写真)がある>
8mの日本一の縦型万華鏡
旧長浜駅
<日本で一番古い駅舎
明治15年3月に北陸線の始発駅として建てられた>
慶雲館入口
<明治天皇長濱行在所と刻まれた石碑が右手前に見える>
慶雲館 (南側正面
<豪商・浅見又蔵氏が明治天皇の行在所として建てた。
毎年1月20日から3月10日頃まで開催される盆梅展の会場。
7代目小川治平の庭が見どころ>
天香さん座禅石
<近代日本の求道者、西田天香さんは、霊覚後の
新生活のはじめ、この石の上で座禅したという>
慶雲館 1階
<盆梅展がこの部屋で行われる;
梅は非常に大きく、大人10人がかりで1つずつ盆梅が
運ばれる;盆梅展で展示される盆梅の写真はこの下>
盆梅
<慶雲館敷地内の北側で展示会に備え、手入れ保管されている>
慶雲館 1階
慶雲館 1階床の間
<左の写真は掛け軸のズーム>
掛け軸
<読めません>
慶雲館 2階
<襖が華やか>
玉座
<玉座にある説明板は備考2参照>
慶雲館2階から南を望む
<琵琶湖が写真の上に見える>


備考1 長浜の名水
<由来記>
この水は霊峰伊吹山系石灰岩の地層深く浸透し太古より清冽な水を湛える巨大な
地底湖に水源をなす地下数百尺の伏流水の湧き水できわめて高品位の水質 
言い知れぬ天然水の旨味で長浜の名水と言われています
伊吹山の降雨は石灰岩層を浸潤し姉川などを流れて琵琶湖に注がれるが 
石灰岩層を通ることで近時話題の酸性雨による公害を中和していることが
琵琶湖環境問題研究所の調査で知られています
この様に炭酸カルシウムを多量にふくみアルカリ性のため 飲料水としても
最適で 食品加工にも使用され素材の持つ風味も充分生かされております
この素晴らしい天然水を存分に味わってみてください お持ち帰り自由です
大手門通調査委員会 記
*1尺=約38cm

備考2 玉座にある説明板
慶雲館之記
本館は、明治20年2月21日明治天皇、昭憲皇太后御同列で行幸になった由緒
を有し、「慶雲館」は伊藤博文公の命名になっている。 本館は寄棟造瓦葺二階建
書院風の建築で園内には付属茶室を有している。 南庭の様式は池泉回遊式で
築山を造り池泉を穿ち、枯瀧を作り石橋を架している。 石組は豪華でその技術
もまたすぐれた優秀な庭園であり明治45年京都の名匠植治、小川治兵衛氏の
作庭になっている。北庭は平庭になり特に巨石を配し園内に松樹多く景観は
豊かである。

*伊藤博文当時の総理大臣

備考3 慶雲館着工の歴史と現在の利用方法
明治19年(1886年)秋、明治天皇が京都行幸の帰路に、船を利用し長浜に
上陸される、との報が入った。浅見又蔵氏は早速私財を投じ、陛下の誕生日
である11月3日に行在所建設を着工。行幸は翌年2月21日で、3ヶ月余りの
突貫工事。行幸当日の朝に完成。 慶雲館は浅見氏の別邸としてだけでなく、
その後も長浜の迎賓館として使われていたが、昭和10年(1935年)の国史跡指定
に伴い、翌年長浜市に寄付された。以後、市の施設として、盆梅展や会議場所等
として使われてきた。