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宇津江四十八滝山野草花園と古川町の瀬戸川と白壁土蔵街 Page 2/2
"Uzue-Shijyuuhattaki" Waterfall Wildflower Garden and
White-Walled Godown Street Page 2/2
[Photos taken on June 12 & 13, 2010]
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2010年6月12日、13日、愛知県瀬戸市の自宅から岐阜県高山市丹生川町の
「高山ワンワンパラダイスホテル」へ一泊二日の旅行を楽しんできました。
いつもは「エンジョイプラン」を利用していましたが、今回はちょっと奮発して
「エレガントプラン」を利用、ディナーを十分堪能してきました。

高山市丹生川町のワンワンパラダイス以外の旅行先としては、
高山市国府町宇津江の宇津江四十八滝と飛騨市古川町の瀬戸川と白壁土蔵街。

1日目はページ1参照願います。

2日目は帰途の途中、飛騨市古川町の「瀬戸川と白壁土蔵街」へ。

*JR飛騨古川駅の東の駐車場に駐車。
犬の同行は禁止されていないようだったが、先を急いでいたので、愛犬レオは
車の中で留守番。

<復路>
「高山ワンワンパラダイスホテル」→国道158号→飛騨工房(丹生川町)→
国道41号→飛騨市古川町→(瀬戸川と白壁土蔵街散策)→
県道「古川・清見線」(通称”卯の花街道”)→道の駅「飛騨古川いぶし」
→国道158号→東海北陸自動車道「飛騨清見IC」→ひるがの高原SA→
東海環状自動車道「せと品野IC」


高山ワンワンパラダイスホテルのレストラン
(朝食時間7:30〜9:00)
 <レストランに一番で入ったので、表側角の良い席に案内してもらえた>
レストランでの朝食
<レオがあくびをしている。普段はほとんど1日中寝ているのに
旅行では起きている時間が多いので眠いようだ>
朝食後、レストラン敷地内を散策
朝食後、レストラン敷地内を散策
<一昨年、レオは川の中へ入ったが今回は寒いのか入らなかった>
温泉棟には10ヶ所の貸切個室温泉がある。このうち、内風呂と露店風呂に入った。
飛騨工房"LUFT HIDA"(高山市丹生川町)
<写真右奥の戸外のテーブル席では犬を同行して食事が可能>
飛騨工房室内 写真右の部屋:燻製した豚が沢山吊るされている
<写真には見えないが右奥に食事ができる広いスペースがある>
<ここで製造されたベーコンを購入>
JR飛騨古川駅の横のバスターミナル JR飛騨古川駅
飛騨市古川町壱之町、殿町付近
<写真後ろに高山市にも流れる宮川が見える>
弁財天堂 飛騨市古川町の瀬戸川と白壁土蔵街
白壁土蔵街沿いにある「恋の水」
<飲用できると書いてあったので飲料した>
「照耀山 円光寺」山門 
<寺院由緒は備考1参照>
<山門由来は備考2参照>
円光寺本堂 古川町の上町廃寺の五重塔の塔心礎
<塔心礎説明は備考3参照>
塔心礎の横の瀬戸川と白壁土蔵

 

【備考】
1 照耀山 円光寺
寺院由緒
<出所> 境内の立て札の説明
1世正祐が永正11年(1514)古川郷宇津江村海具江に道場「垣株堂」を開設。
爾後古川町上町、向町を経て、元和7年(1621)当地に移った。
慶長8年(1603)「正覚寺」の寺号をたまわり、寛文7年(1667)
現存の本道を建設、元禄4年(1691)現存の庫裏建設、正徳2年(1712)
寺号「正覚寺」を「円光寺」に改め現在に至り、5百年になんなんとする
寺歴を誇る名刹である。
歴代住職中には名僧多く、なかんずく、7世浄明は、「飛州志」に並ぶ、名著「岷江記」
を著し、9世浄超は、安永の法輪に係り本山蟄居の難を受けたが、在京中有栖川宮の
篤い帰依を受け、当寺をして同宮家の位牌所となるに至らしめたことなど、学徳高い
名僧の輩出がこれを物語っている。
*「所蔵宝物」、「境内施設」の説明省略

2 史跡 山門
由来
<出所> 山門下の立て札の説明
円光寺山門は天正年間に秀吉の命により飛騨を平定した金森長近の女婿、可重
の築城にかかる増島城が元和5年(1619)1国1城の幕命により廃城された際に、
その城門を円光寺山門に移築、その後、何回か改修の手が加えられ現在に
いたっている。

3 古川町の上町廃寺の五重塔の塔心礎
古川町指定文化財建造物
<出所> 塔心礎の立て札の説明 〜一部表現を要約〜
この巨石は古川町上町字塔の腰に古くから残存していたことが「飛州志」など
諸書に記載されており、付近からは白鳳期や奈良期の丸瓦・平瓦が採集されている。
明治初年に塔の腰から円光寺境内に移され、現在にいたっている。
飛騨国内で残された塔心礎4基のうち、柱穴の最も大きいのがこの心礎である。