「瀬戸蔵」 開館5周年 
The fifth anniversary opening of "Setogura"
(Photos taken on March 21, 2009)
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「瀬戸蔵」開館5周年(開館日2005年3月19日?)を記念し瀬戸蔵ミュージアムが
無料開放(3月21日&22日の2日間)されていたので、2009年3月21日、入館。
駄菓子や陶製金魚すくいや輪投げの場があり、縁日の雰囲気が十分出ていました。
ミュージアムにはセト・ノベルティも展示されており、改めて職人さんの技能の高さに
感心させられました。

<瀬戸のやきものの歴史>
瀬戸のやきものの歴史は3万年といわれています。
約1500年前から須恵器の生産が瀬戸市の東端部の猿投山麓で始まり、
平安時代(794年-1185年)後半から鎌倉時代(1185年頃-1333年)にかけ、
瀬戸では山茶碗(釉薬無し)と同時に日本で最初に施釉陶器の「古瀬戸」が生産される。
戦国時代(1493年(1467年)頃-1573年頃)に窯が窖窯<注1参照>から大窯
<注2参照>に転換されると茶陶が盛んになるが、安土桃山時代(1568年 - 1603年)、
戦争を避け、瀬戸の陶工の多くは美濃地方に移り、瀬戸の窯業は衰退。
江戸時代(1603年 - 1867年)、尾張藩の庇護の下で瀬戸の窯業が復活。
明治時代以後(1868年-1912年)、日用品・工業用品・装飾品などあらゆるジャンル
の陶器・磁器製品が提供され続けている。
戦時中、金属資源が軍用に拠出された為、金属製品の代用として陶器・磁器製品
が生産された。
瀬戸の磁器製人形・装飾品はノベルティと呼ばれ、第一次大戦(1914年 - 1918年)
頃から生産が開始され、第二次大戦(1939年-1945年)での中断後、瀬戸のやきもの
輸出を牽引するまでに成長した。生産が目覚しく進展するのは1955年(昭和30年)頃、
従来の主力製品であった和洋の食器類生産を凌ぐようになり、1959年以降瀬戸の
主要窯業生産品中、生産額第1位となり、その地位を長く保っていました。しかし、
セト・ノベルティは北米を中心とした輸出製品であった為、為替レートの変動による
円高が生産額の減少を招き、1985年のプラザ合意による円高の影響を受けてその
生産は大きく後退。現在、瀬戸市ではノベルティをほとんど作っていません。

【参照資料】
瀬戸蔵ミュージアム3階展示案内パンフレット
【参考URL】
http://www.geocities.jp/setodrgn/setonovelty.htm
http://www.geocities.jp/setodrgn/seto_scnry18.htm
http://www.geocities.jp/setodrgn/seto_scnry70.htm
【注】
注1 窖窯(あながま) 
古窯の一形式。山の斜面を掘り、天井だけを築いた窯。多くは単室で、天井に差木孔
が設けてある。
注2 大窯(おおがま)
窖窯の次の時代に築かれ、窖窯を地上に築いたもの。
《注の出所》
陶磁郎BOOKS「古陶から学ぶ土と釉の基本」著者 金井郁男+寺田康雄

 

昔走っていた手動式瀬戸電
<ミュージアム入口にあります>
昔の名鉄尾張瀬戸駅
<1925年(大正14年)に建築され、2001年5月取り壊され、
瀬戸蔵ミュージアムに移転復元された>
3階への通路から2階西側を見る
<左の赤い傘の周りで抹茶を頂けます>
3階より2階西側を見下ろす
<陶製金魚すくい(左)、駄菓子(真中)、やや輪投げ(右)>