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Seto Scenery Table


No.17-2 Walking for the year of 2020
<2020
年瀬戸市でのウォーキング>
No.17 for the year of 2020

No.17-3

No.17-4
No.17-5
No.17-6
No.17-7
No.17-8
No.17-9


撮影日Date photo taken

場所Place

Apr.12, 2020 ウォーキング(陶原地区)
Apr.14, 2020 ウォーキング(品野地区)
Apr.15, 2020 ウォーキング(長根地区)
Apr.21, 2020 ウォーキング(長根地区を追加 - 今村)


2020年4月12日陶原地区を撮影
4月12日瀬戸市陶原地区をウォーキング
熊野神社
陶原公民館
陶原公民館の南にある桜?(白、赤、ピンク)
そのズーム
陶原公民館から陶原小学校へ行く途中の木々(左と中:ソヨゴ、右:コナラ)
陶原公民館から陶原小学校へ行く途中の木々(左:クスノキ、右:ヒサカキ)
陶原公民館から陶原小学校へ行く途中の木々(アベマキ)
陶原小学校の裏門(門柱の左右に各々「陶原小学校」「陶原公民館」と書いてある)
陶原小学校の校庭
瀬戸簡易裁判所


2020年4月14日品野地区を撮影
風はやや強いが晴天。品野地区約4.5kmをウォーキング。品野台地域交流センター「ぬくも里」
の横の駐車場に駐車し、上品野町交差点を北上する道路沿いに北へ上り、校長道路を通り、
国道363号に出て、曹洞宗祥雲寺に行き、駐車場所へ戻った。
品野台地域交流センター
瀬戸市立品野台小学校(品野台地域交流センターに隣接)
瀬戸市コミュニティバス「桑下」バス停(桑下城跡がこの付近ある;瀬戸市発行のウォーキングマップ
「品野地区編」によると、品野には品野三城と言って科(品)野城と下品野小学校裏山の落合城の
3つの城があり、450年ほど前の戦国時代には、三河の松平清康(徳川家康のおじいさん)と尾張の
織田信秀(信長の父)との対立が激しく何度も戦場になった。
桑下城は信長の攻撃をうけ燃えてなくなった。いまでもお堀や石垣のあとがのこっている。)
                    天台宗「寂場山菩提寺」の案内板
(「初えびす 出雲福神大祭典 毎年1月5日尾張城東西国三十三観音第29番」と書いてある)
瀬戸市発行のウォーキングマップ「品野地区編」の説明:瀬戸で天台宗の寺はこの菩提寺だけです。
今から1200年前養海上人によって開基されました。本堂には千手観音菩薩を奉り、不道明、毘沙門天、
弘法大師等が安置されています。また本堂の東には大正14年出雲大社より招福の神『えびす』様
を迎えお奉りしてあります。毎年正月5日にはえびす大祭で大変賑わいます
寂場山菩提寺
校長道路
グランドの桜
曹洞宗 瑞應山祥雲寺山門
祥雲寺本堂
                          祥雲寺本堂瓦など
(左上の説明石板に「寂場山菩提寺の本堂屋根修復工事 平成13年10月吉日 第17世智玄清弘代」と書いてある)


2020年4月15日長根地区を撮影
4月15日瀬戸市長根地区の東をウォーキング
瀬戸市役所付近の吉田橋から瀬戸街道を横断し、愛知銀行、瀬戸健康管理センターを
右に見ながら、すぐに光国寺に到着。道なりに南へ上るとすぐに善光寺に到着。
このまま道なりに上ると山上に到着。道なりに西へ200m位で瀬戸菱野トンネルの
真上に到着。瀬戸菱野トンネルから約500m南の赤重にあるドラッグスギヤマで
食料品を購入し帰宅した。
東照山光国寺
称名山善光寺の山門
善光寺の本堂
善光寺の弘法堂
瀬戸菱野トンネルの上(道路・公園・住宅がある)から北の新共栄橋(『新瀬戸大橋』から名称変更)を望む
瀬戸菱野トンネルの南を通り抜けた付近の水無瀬町歩道橋から南を望む
県道209号「愛・地球博記念公園瀬戸線」のトンネル「瀬戸菱野トンネル」


2020年4月21日長根地区を追加撮影
2020年4月21日瀬戸市長根地区の西をウォーキング
瀬戸市城屋敷町交差点(奥が南、右は西)
旧今村街道(奥は東; 左に八王子神社、右に慶昌院)
城屋敷町交差点の南西角
(小さな森の中に記念碑等が沢山ある。
左の建物の表札には「御嶽山」と書いてある
                       八王子神社
(1460年頃、松原廣長公の居城の今村城がここに有った;
拝殿両側にある御神木の楠[瀬戸の名木]。境内には珍しい木々がある
          今村の歴史<出所:瀬戸市発行のウォーキングマップ>
今村城は松原下総守廣長公の居城であった。城は平城で、城溝は東西60間、南北60間、
堀幅は5間、四方を囲んで土塁の根敷は5間、高さ1丈と記されているが、現在は
ほとんど原型を失い跡形もない。 古い記録によると、今からおよそ520年程前の寛正
(寛政?)年間(1460年頃)廣長公が三河国碧海郡今村(現在の安城市)から尾張国に
移り、横山村を改め「今村」(*注参照)と名付けたのがその始まりであったとされている。
現在は瀬戸市城屋敷町の一画に今村の氏神として鎮座する八王子神社となっている。
今村は、瀬戸市の西端にあり、三国山、猿投山とのくびれた戸越峠から昇る朝日を
一番先にみるところである。
*注:辞書によると「新たにできた集落」の意味もある。
八王子神社の御神木「連理の椿(夫婦椿)」
[瀬戸の名木51ヤブツバキ(ツバキ科)]
「伏見稲荷八王子大明神」の幟と「梛」の木。
梧(あおぎり)(鳳凰のとまる木)
鼠黐(ねずみもち)[今年の十二支に縁のある木]
松原廣長公城跡の石碑(八王子神社の境内の北西角)
尾張三十三所観音第二十七番霊場 慶昌院
(ウェブ作者はこの寺の檀家)
慶昌院の山門(山門前の左右に石碑が立っている
左右の石碑には次のように書いてある:
左の石碑:山門禁軍酒、 右の石碑:王界万雷王寺)
慶昌院の境内の塀に沿った綺麗に手入れされている木々
(後ろは鐘楼)