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第7回 陶のまち 瀬戸のお雛めぐり
P4/5 The 7th Moving around Seto City to See Hina Dolls in Girls' Festival Season P4/5 (Photos taken on Feb.16 & 17, 2008) |
2008年2月1日〜3月3日、瀬戸市で「第7回 陶のまち 瀬戸のお雛めぐり」が催され、 市内約50箇所の街角ギャラリーでは陶器、磁器、ガラスのお雛さまが展示されています。 このページ4では2008年2月16日と17日の様子を掲載します。 2月16日は、「窯垣の小径」駐車場に駐車して、「窯垣の小径ギャラリー」と「窯垣の小径 資料館」へ行き、「パルティせと」の駐車場が満車で、仕方なく、近くにある瀬戸信用金庫栄町 支店の駐車場に駐車して、「古民家久米邸」へ行ってきました。 2月17日は、宮前駐車場に駐車して、「ナカドール18番館」、「瀬戸市マルチメディア伝承 工芸館」、「せと末広商店街」、「銀座通り商店街」へ行ってきました。 ☆ 2月2日の様子はページ1に掲載 ☆ 2月3日と2月9日の様子はページ2に掲載 ☆ 2月10日の様子はページ3に掲載 ☆ 2月23日と24日の様子はページ5に掲載 |
「窯垣の小径」駐車場から「小径を見上げる | 「窯垣の小径」にある椋の木(むくのき) |
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「窯垣の小径」 <写真左が「窯垣の小径ギャラリー」 写真奥が「窯垣の小径資料館」> |
「窯垣の小径」沿いの民家の壁が ショーケースになっている |
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窯垣の小径ギャラリー | 窯垣の小径ギャラリー入って左 |
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花餅とフクロウ <窯垣の小径ギャラリー東南の角> |
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窯垣の小径資料館 <写真奥に本業タイルの美しい便器が見える> |
窯垣の小径資料館 <北側隅の床の間の右端に加藤民吉の 人形が見える> |
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右上写真のズーム |
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酒器 | 六つ目文<写真左> 馬の目皿<写真真中> 八つ目文<写真右> |
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本業印花文敷瓦(江戸時代末)<写真左> 本業タイルの源流<写真真中> 古瀬戸釉敷瓦<写真右> |
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本業タイル | 新製 |
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古民家久米邸の南側 |
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古民家久米邸の母屋入口正面 |
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古民家久米邸の母屋入口の北側 |
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古民家久米邸のお蔵の屋根裏の西側 <吊るし雛や雛壇> |
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上の写真の左側の雛壇のズーム |
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古民家久米邸のお蔵の屋根裏 |
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土雛 <古民家久米邸のお蔵の屋根裏> |
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楮の皮が干されている <楮の木が切られ、株が見えている> |
古民家久米邸のお蔵 <現在はギャラリーとして使用> |
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「ナカドール18番館」 | 「ナカドール18番館」入って左の部屋 |
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「瀬戸市マルチメディア伝承工芸館」 <第8回愛知まちなみ建築賞受賞> |
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「瀬戸市マルチメディア伝承工芸館」交流館2F <瀬戸染付の制作工程などが展示> |
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世界の染付の歴史が映像パネルと地図でわかる |
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交流館2F | 本館2階 <研修生の作品と瀬戸史誌の閲覧> |
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「せと末広商店街」の時計屋さん に飾ってある土雛と吊るし雛 |
「銀座通り商店街」に飾ってある土雛 |
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瀬戸蔵での「彩土雛作陶体験」 |
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【備考】 1 窯垣の小径ギャラリーの説明板 この建物は300年ほど前の江戸時代に建築された窯元の屋敷で、1870年に柱などは そのままに残して改修されました。家の中心の部屋のまわりに四本のしっかりした柱 を建てることから「四つ建て」といわれる尾張地方に残る特徴ある古い民家形式を今 に伝えています。 2 「瀬戸市マルチメディア伝承工芸館」は、その他の瀬戸の風景No.7参照 3 「窯垣の小径」は、その他の瀬戸の風景No.85 参照 4 「古民家久米邸」 は、その他の瀬戸の風景No.81 & 84参照 5 本業窯 No.15のP2参照 江戸時代後期に瀬戸では磁器の生産が始まり、産業として有力となってきましたが、 それまでは陶器生産が主たる仕事であり’もともとの仕事’で’’本業’と呼び、 磁器生産の仕事は’新しく入ってきた仕事’で’新製’と呼び分けました。 本業窯とは陶器を焼く登り窯のことで、主に水がめ、すり鉢、こね鉢を焼成していた。 洞にある本業窯は4連房のもので、昭和50年代半ば迄実際に使われていました。 洞には本業窯のほかにも陶芸作家所有の穴窯が多数あり、年に数回焼成されています。 |